3.五井先生はどんな方

       五井先生
 
                              
                             

自叙伝「天と地をつなぐ者」 

五井先生のプロフィール

五井先生の自叙伝「天と地をつなぐ者」から、五井先生のプロフィールを書いてみたい。

ご誕生

大正5年(1916)に東京の浅草でお生まれになった。父は越後長岡藩の武士の子で五井満二郎。
母は東京生まれの商人の娘できくといった。父は病弱で、無理をして足に致命的な損傷を受け働くことが出来なくなった。母が家計をささえ、九児を生み育てた。

少年期・青年期

五井先生は父親譲りの虚弱体質で、若死にするのではないかと思い、いつしか、宗教・哲学に
ひかれていた。高等小学校を終わると、T商店の少年員となり、仕事をしながら勉強をして、
作家か音楽家、あるいは教師になろうと考えていた。18歳か19歳のはじめか、T商店をやめて
五井商店を開業した。このころから本格的に音楽の勉強を始めた。歌人や詩人と交際して、小説を
書こうとしていた。音楽の勉強を終了してまもなく、昭和15年に三兄の紹介で、日立製作所の
亀有工場に入社した。工場では文化運動とくに合唱の指導をまかされた。くしくも、日本は太平洋戦争に
突入し、戦火はしだいに激しくなり、本土決戦の恐れが近づいていた。
8月15日天皇のラジオ放送で敗戦を知った。

神を求めて

自らの体調の悪化をきっかけに、世界救世教の心霊治療に関心をもち、無報酬で病人の治療に専念する。
日々、神を呼び続け、「どうぞ私の命を神様のごようにお使いください。どうぞ私の天命を一日も早く、はっきりと
現しめ給へ」と祈り続けていた。そのまま、向こう岸に渡る船着き場まで来て土手を降りようとした瞬間、
「おまえのいのちは神がもらった。覚悟はよいか。」と電撃のような声が響きわたった。一瞬の間隙もなく
「はい」と心で答えた。これ以後五井先生の個人的な自我は消滅し去った。
また、生長の家の谷口雅春の講演を聞いて感動し、生長の家の講師となり、生長の家の光明思想の普及に
生涯をかけることを誓ったりした。
母からの度重なる懇願で職をさがし、C労働学園出版部に勤める。労働問題に直面し、
唯物論に傾く世間を見せつけられた。
人を救うために霊能力をもとめ、降霊会に参加したりした。

霊的修行

降霊会に度々参加しているうちに、自動書記で、友人であった渡辺君の文字を書いたり、
ニューギニアで亡くなった兄弟の五郎さんの文字が書けたりして、家族の者を驚かす。
自動書記現象が続き、霊魂の声が人間の声そのままに聞こえる霊耳にもなっていった。
守護霊・守護神の声が聞こえ、厳しい想念停止の修行が始まり、三ヶ月徹底して行われた。
守護神との対話が続いたあと、想念停止の修行は完結した。

天地合体

瞑想に入ると、目の前に天に届いているような、水晶のように透明な丸く太い柱が現れ、息に乗り
自分自身が、柱に伝わり上昇していった。様々な色の層を抜け、突如、光明燦然とした神界に出ると
神界に金色に輝く椅子に腰掛け、昔の公卿のかぶっていたと思われる紫色の冠をかぶっている自分がいて
あっと思う間もなく、意識がそのなかに合体してしまった。
天の我が地の我と一体になり、霊的な神我一体が写実的な神我一体として認識された。
釈尊が忽然と現れ、両手を差し出された。五井先生も思わず両手を差し出すと、
金色の珠と「おさかき」を手にのせて下さった。
今度は、金色の十字架を背負ったイエス・キリストが現れたとみるままに、
五井先生の体内に突入してして消えた。その時、「汝はキリストと同体なり」という声が
激しく耳に残った。「汝は今日より自由自在なり、天命をまっとうすべし」という内奥の声を
はっきり聞いていた。
五井先生は、直覚的にすべてを知りうる者、霊覚者となられたのである。

人助けと真理の布教に身を捧ぐ

覚者となられてから、生長の家の講師として千葉県市川市に行かれる。
市川の信徒の間で、五井先生に見てもらうと、奇跡がおこり、病気が治り、運勢が良くなると
大変な評判になる。

市川の松雲閣にご移転が決まり、熱心な信者さんの間で、これを機会にし会員組織にして、
先生に金銭上のご配慮をかけぬようにして、「一人でも多くの人を救いたい」という御思召を
大勢の人に伝えて、人助けのお手伝いをしようと云うことになり、五井先生のご快諾を得て、
五井先生鑚仰会(後の白光真宏会)が発足した。

五井先生も奥様も実に淡泊な方で、少し余裕が出来ると、生活に貧窮している方にお貸しになる。
むろん返す人は滅多にないので、実際はお与えになるのであった。そして、いつも貧乏をしておられた。
お人柄は、慈悲そのもので、まるで良寛さんのように無邪気で、
講話の中でも洒落をとばして信者をお笑わせになる。
殊にご謙遜で、尊大ぶったところは更になく、普通の人より丁重である。

事業には繁栄の指針を与え、家庭には光明生活を、結婚には幸福な相手を、
各人に適職を、病める人には健康を、という風に、
転禍為福の実例は枚挙にいとまがないほどであった。

五井先生のもとに来る人は、たいてい悩みがあって来るが、先生の教えをふれていると
心配がなくなり、知らないうちに慢性病が治る、悪い癖が出なくなる、性格が明るくなる、
人助けがしたくなる、必要に応じて必要なものが出てくる、物質的に恵まれてくる、
若々しくなる・・・という風に、現実的に万事整ってきて、知らず識らずの内に、安心立命が
得られるのであった。

五井先生の名声は広く東京に伝わり、各地の公会堂や、商工会議所といったところで
講演や統一会を開かれる。さらに、全国に伝わり、他県でも支部が出来て出張されることも
多くなる。神の招きで伊勢神宮や熊野や富士に行かれることもあった。
お弟子さんも多くなり、財界や政界、文化界にも慕う方が多く、戦後の日本の
精神的な支柱となられた方であった。

昭和40年代の末くらいから、地球人類の業をキリストのように背負われ、部屋に籠もられ
苦しみ耐えられておられたが、昭和55(1980)年8月帰天された。
64歳の御生涯であった。



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