神様有難うございます

宗教の極意

「宗教の極意というものは、おまえの心を直せ、おまえの我が儘を直せという風に教えるもんじゃなくて
神様は愛なんだから、神様にすがりさえすればいいんだ、と教えるんです」

様は愛なんだから、あなた方は絶対に救われているのだ。あなた方が悪いんじゃないんだ。悪いものなんかありはしないんだ。この世の中は、善も悪もないんだ。皆この形の世に現れてくるものは、消えていゆく姿なんだ。全部消えてしまうと、本当の地上天国がここに出来るんだよ。」

五井先生のこのみ言葉を思うと、いつも五井先生(神様)の慈しみの深さを感じてしまいます。神様は愛なんだよ、ただひたすら人間を救うことのみを考えておられるんだよ、だから神様にすがりさえすればいいんだ、それだけで救われるんだよ、後は、神様にまかせておけばいいんだよ、身も心もすべて神様が変えて下さるんだ。

たとえ疑いの心が起こっても、煩悩をもったままで救って頂けるんだよ。煩悩をもったままで救われるのが本当の救いなんだよ。だから、疑いの心が起こったら、その様な凡人を救って下さるのが神様だと思えばいいんだよ。
「神様を呼ぶだけでいいんだよ、呼べば必ず救って頂けるんだよ。」

神様は責任者

「神様が創った人間だから、全部神様に責任があるんですよ。悪いことをするような人間がいたら、それは神様の責任。神様の全部責任だから、神様に全部まかせちゃったらいい。神様どうかこの悪い心を消してください、って神様に投げ出せばいい。」
(心の貧しき者は幸いなり P.60)

神様は人間の霊魂の親です。ですから人間の保護者であり責任者です。だから、人間の嫌な心も病気も神様が責任をもって下さっています。人間の嫌な性格や病気は、とうてい自分で直せるものではありません。下手に自分で直そうとするから、余計にこんがらがって難しくなってしまいます。神様にすがりさえすれば、救って頂けるんだ、後は神様が良くして下さるんだから、神様有難うございます、よろしくお願いします、と祈って神様にまかせてしまえばいいのです。その方がどれほど気楽かわかりません。気楽にしていれば病気などはずっと早く直ります。

全託は決して難しくない

全託というと、何か自分のすべてを献身しなければいけないようで、とても凡人には出来ないように思えます。そのように理屈で考えるから余計難しく思えてしまうだけです。神様にすがりさえすれば救われるんだ、後はすべて神様が変えて下さるんだ、神様有難うございます、よろしくお願いします、と祈っていれば、それがそのまま全託の境地につながっていきます。なんら難しいことではありません。子供でも出来ることです。ただ神様にすがるだけです。それしか神様は要求はされていません。後は全能の神様の方ですべて図って下さるのです。

何かで執着したら

病苦、生活難、人間関係の悩み、ひがみ、劣等感など、人間は様々な悩みをかかえています。その時、神様を信じているので既に救われていること、神様と一つであり天につながっていること(主イエスは
天国の民とよんでいます黙示録1−5)を思いましょう。何かに執着したら、煩悩を持ったままで救われているんだ、永遠の命があるんだ、神様有難うございます、と感謝の祈りを捧げれば、悩みや執着心は感謝の祈りでフォーマットされてしまいます。

さらに云えば、神様を想ってさえいたら、今この時が救われているのです。現実に現れた状況や体調がどうであろうとも、それは過去世からの消えてゆく姿で、過去形の幻影なのです。今の自己とは無関係なのです。

今この時、どんな煩悩の火が燃えていても、煩悩をもったままで救われています。苦しい時、ふと、冷静になって想いましょう。自分は神様(五井先生、主イエス、阿弥陀如来・・・)を信じているから、救われているんだ。そして、神様がすべてにおいて良きに計らって下さる。だから、自分は何も悩む必要もない、ただ神様にまかせておけばいいんだ。そう思うと気が楽になります。気が楽になるだけでも、苦しみは軽減します。今この時、日々瞬々が救われているのです。ただ、有難いという想いが何処かにあればいいのです。

真の福音

現実がどんな境遇にあろうとも、神様を想い、すがり、信じるだけで救われています。神様は、自分の心や行いを変えなさいとは一言も仰っていません。ただすがりさえすれば救われるんだよ、そうすれば良くなるんだよ、そして永遠の命があるんだよ、といって下っています。これが、真の福音です。手を合わせるようにして、いつも神の救いに感謝しましょう。

我祈る故に我在り

神様有難うございますという祈りは、人間神の子が祈っています。この祈り心がある人は、表面に業想念が現れているように見えても、本質は神の子です。その業想念は消えてゆく姿であり、過去生の幻影に過ぎません。過去形の幻影に欺されてはいけません。祈りの在るところに、神の子が在ります。消えてゆく姿はそのままにしておいて、五井先生のみ言葉を信じて、神の救いに感謝しましょう。

永遠の命

神様(五井先生、主イエス、阿弥陀如来・・・)を信じている人は
葡萄の木と枝のように、神様とつながっています。葡萄の木は神様の命(永遠の命)ですから、神様につながっている人も永遠の命を得ています。外見は煩悩具足の凡夫であっても、心の中では神様とつながっていて、その人をしだいに変えて下さります。そして、往生する時に、その人は光り輝く神の子となり、永遠の天国へ召されるのです。神様を信じている人は、この世に置いても、あの世に置いても、幸福になることが決まっているのです。これが真の福音です。五井先生は、それをこの様に仰っています。

「皆さんの運命は私が引き受けた!この世からあの世まで全部引き受けます。
必ず永遠の生命が光り輝くように私が引き受けるから、皆さんは世界平和の祈り一念で
やりなさい。私が引き受けた。私というのは全部の神々が入っている私ですよ。いいですね。
どうぞそのつもりで。」


本当の親

病気や生活で悩んでいても、ひがみや劣等感を感じていても、それは過去形のものが消えて行っているだけなのです。神様を信じている人は、心に永遠の命があり、光輝く神の子になって天へ召されることが決まっているのです。神様がその人の魂の親になり、天にまで導いて下さるのです。自分の本当の親が神様であるとは何と心強いことでしょう。人をひがんだり劣等感をもつのはナンセンスです。自分の本当の親は神様であることを想い、自信を持ちましょう。

世界平和の祈り

さらに、自分の救われだけではなく、すべての人が救われるように菩薩の祈りを捧げましょう。人間は本来神の子であり、菩薩ですから、このように祈るのが自然であると思います。五井先生は世界平和の祈りについて、次のように言われています。

「皆さんは、自分が救われると同時に、人を救う立場になっている。自分は救われながら、菩薩行をやるんだと思わなければいけない。自分が菩薩行をやっていることは、自分が救われていることなのです。」(私に荷物を預けなさい P.86)

神様有難うございます

世界人類が平和でありますように


想ふれば 救はれたりと 説き給ふ 海原よりも 深きみ心


B.G.M.の解説

モーツアルト ピアノ協奏曲第5番第2楽章

ピアノ演奏 ウラジミール・アシュケナージ


           幼児洗礼者ヨハネと聖母子     サルト

                        



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