貴方が菩薩

貴方は菩薩の生まれ変わり

五井先生は、「世界平和の祈り」にひかれて来る人は、前世から菩薩級の人だと言われています。

「世界人類を救うために来たんだ。みんな前世からいえば菩薩級なんだ。世界平和でこのように集まっている人は、自分で知らないけれども、昔から人を救うため生まれ変わりしてきた人達なんです」

ということは、今あるように思われている業は、実は自分が生まれ変わって来る時に、自分があえて背負って来た業ということになります。本当は菩薩界にいる人が、地球人類を救うために、業を背負う形で生まれてきて、人々と伴に苦しみを分かち、人々を救う天命をもって生まれてきたということになるのです。過去の因縁は、先祖の業を浄めるために、あえて自分が犠牲になって背負って来たということになります。

因縁教をやめよう

五井先生は、宗教は因縁教ではないと語っておられます。因縁が悪い、行いが悪いと責めるのは真の宗教ではないと言われているのです。また過去の因縁を考えるのはるのは愚かしいことである。

「過去は消えてゆく。過去はない。過去など穿り返さず、ただただ、光明の方に心を向けていることが、自分を救い人を救う一番大切なことなのである。」

とも言われています。五井先生が過去の業を説いたのは、人間の生まれや境遇が現象的に不平等に見えるのを説明する方便で、人間の宿命を説くためではないと私は考えています。過去世からの業であると説明しないと、神を恨んだり、神仏を否定する人が出てくるからです。実際、唯物論はヨーロッパで台頭し、世界を席巻しました。なぜなら、キリスト教が過去世を説かなかったために、多くの人が人間の不平等をうまく説明できず、神を恨んだり、否定したりしたからです。

主イエス・キリストが輪廻を説かなかったのは、人間の救いにとって、過去世などは必要ないからであったと私は考えています。過去世を考えると、自分を責め、人を責め、社会的な偏見を持つだけとイエスは思ったのでしょう。社会福祉の発想もキリスト教から来ているわけですが、それは、輪廻を説かなかったヨーロッパだから生まれてきた発想だと私は考えています。

いずれにしよ、「世界平和の祈り」にひかれるような人は、過去世から菩薩であって、カルマは自分があえて犠牲になり背負って来たものなのです。いや、人を救うために祈ったり、奔走している人は、すべて菩薩の生まれ変わりだと私は考えています。宗派や思想を問わず、菩薩界から天下って、この地球人類を救うために生まれてきた人達なのです。カルマのように見えるのは、自分で人類のカルマを背負っているのです。そして、人類の業想念を消えてゆく姿で浄めているのです。

天台大師の教え

中国の唐代に出た、仏教哲学を完成した偉大な聖人天台大師に願兼於業(がんけんおごう)という
教えがあります。これは、菩薩があえて業を背負って生まれ、伴に苦労を分かち合い、人々を救うという教えで、仏教の慈悲の考えから来た教えです。

天台大師は、今度生まれ変わる時には、ハンセン氏病になって生まれ、人々を救いたいと祈願したといわれています。(日蓮の御書に出典)真の仏教者は、不幸のただ中に生まれて人々を救おうという慈悲の思想を表明したものです。まことに、頭の下がる想いが致します。イエスが十字架にかかり、人々を救おうとした思いと共通しています。五井先生の晩年の姿もそれを如実に物語っていますね。

世界平和の同志

これは、聖者と言われる人の事で、我々凡人の及ぶことではとうていありませんが、我々「世界平和の祈り」の同志も、程度の差こそあれ同様な思いで、菩薩界から地球人類に生まれてきたのです。そのことを、五井先生のみ言葉から、よくよく思い致し、過去世に囚われる思いを捨てなければいけないと思います。自分で好んでカルマを背負って生まれてきたのですから、何の引け目があるはずがないのです。自分や人を責めるなどは、まことに愚かしいことで、自分を愛し、人を愛さなければ行けないと思います。五井先生の教義そのものですね。

今の苦しみは、人の苦しみを分かち、人々を救っていくための試練なんです。そのように望んで我々は生まれて来たのです。そして、人々を思いやり、慈しみ、人々を救い、菩薩界に帰還してゆくのです。そこには、宗教の枠を超え、民族の枠を超え、国家の枠を超え普遍的な人類愛があるだけです。小異を捨て大同につき、すべての善良な人々と連帯して、世界平和のために身を挺していかなければなりません。これが、私たちが選んだ道なのです。恩師五井先生が歩まれた志でもあります。

己が身の 生きるすべての 志 五井先生より ほかになからん

晩年のベトーヴェン 

ミサ・ソレムニス  キリエ



         宇治平等院阿弥陀如来図





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