クリスチャン・バッハ(J.C.Bach) 

 クリスチャン・バッハ(1735〜1782)は、J・S・バッハの末子で、音楽の才能がありイタリアへおもむきオペラ作曲家を目指す。そして、イギリスに渡り王室の保護を受けオペラで成功を収める。モーツアルトの若いころのオペラは、クリスチャン・バッハの影響が大きいのはよく知られている。

彼のオペラは、現在演奏されることはほとんどないが、シンフォニアや協奏交響曲、ピアノ協奏曲は知られている。クリスチャン・バッハに共通した特徴は、優しい愛の感情と明るくふくよかな響きである。特に傑作のシンフォニアや協奏交響曲を聞くと、歌うようなメロディーと洗練された詩情を感じさせ、決してモーツアルトに引けを取っていない。

                             過去完了形より  ©竹宮恵子

                                    

少年の魅力は典雅な美しさと、瞳の純真で深いまなざしだろう。竹宮恵子の少年もその瞳の美しさにポイントがある。クリスチャン・バッハの作品にはそのような18世紀ロココ趣味の最も洗練された美しさがある。彼のピアノ・フォルテ協奏曲第6番♪♪(J.C.Bach's Piano forte Concerto No.6)は、特に典雅で純真な美しさがある。

クリスチャン・バッハのシンフォニアと日本の王朝文化(J.C.Bach and Japanese Dynasty Culture)

ここで、クリチャン・バッハのシンフォニアと日本の王朝文化の関連性について述べてみたい。学術的な論拠は別として、私の学生時代からの音楽体験で、クリチャン・バッハのシンフォニアの雰囲気に、日本の王朝文化に通じたものがあることを感じている。クリチャン・バッハは、ロココスタイルの前古典派の大家で、ふくよかな愛の感情に満ちた音楽は、若いモーツアルトに多大な影響与えたことは有名である。それだけではなく、クリチャン・バッハの音楽には、普遍的といっていいほどの洗練された詩情があり、あらゆる雅やかな文化に共通する美しさを備えていると思う。それでは、クリチャン・バッハの傑作の シンフォニア作品18−4♪♪(J.C.Bach's Symphony D-dur op.18 No.4)を聞いていただこう。

                                           マダム・ブーシェ       ブーシェ

                  

ブーシェは、クリスチャン・バッハと同時代の、フランスのロココスタイル代表的な宮廷画家である。マダム・ブーシェは、ふくよかで愛らしく、このシンフォニアの雅やかなイメージに好く合っている。

マダム・ブーシェをご覧になった方は気付かれるはずだが、このふっくらとした顔立ちは、欧米人によくみられるゲルマン系の顔ではなく、ラテン系の丸みのある顔である。また、日本女性にもよく見受けられる可憐な顔立ちではあるまいか。つまり、このシンフォニアのイメージの中には、どこか和風な雰囲気があるのである。

ふくよかで雅やかなこのシンフォニアは、どこか、日本の平安朝の源氏物語絵巻にも似た王朝の雅びを感じさせてならない。古今和歌集の和歌のような、まろやかで明朗な美しさがある。琴の音色も王朝の雅びを感じさせるが、このシンフォニアの方が、もっと明るくふくよかである。

                          醍醐寺の桜     ©京都フォトギャラリー

                                  

京都の桜は、華やかな王朝の雅びを現在に伝えている。私は、京都の東山などの風景をみると、どうしてもクリスチャン・バッハのシンフォニアを思いだしていまう。なぜか、平安朝の都の面影が、ふくよかで和風なクリチャンバッハの音楽とクロスしてくるのである。最後に桜にまつわる「源氏物語」の和歌を添えておこう。

                    おほかたに花の姿をみましかば 
                       露も心のおかれましやは
                    
                   (なんとはなく桜の花のように美しいあなたの姿を見たならば
                    ひとときも、心の落ち着きがなくなってしまいそうです) 

短調のシンフォニア(J.C.Bach's Symphony of A Minor Key)

クリスチャン・バッハが活躍したのは、18世紀後半で、明快な古典派音楽が発達した時代であった。ハイドンや
モーツアルトにも言えることであるが、クリスチャン・バッハの音楽の多くが長調で、短調の曲は非常に少ない。その少ない短調のシンフォニアに、傑作のシンフォニアト短調6−6♪♪(J.C.Bach's Symphony g-moll op.6 No.6)がある。短調ではあるが、悲哀感は全くなく、当時の宮廷音楽らしい雅やかさと、喜怒哀楽を越えた神韻縹渺とした詩情が漂っている。長調のシンフォニアが、春爛漫の桜であれば、ト短調のシンフォニアは、あえていえば妖艶な雰囲気をもつ夜桜といったところだろうか。

このト短調のシンフォニアは、長調のシンフォニアと同様に和風な王朝の雅び感じさせると共に、妖艶で神韻縹渺とした詩情は、エマヌエル・バッハの音楽の影響を見ることが出来る。

「秋の夜長物語」

室町時代の京都は、禅宗の文化が興隆を極めた。禅寺では、女人禁制の戒もあり、稚児(美少年)の使いが珍重された。美少年の端正で典雅な出で立ちは、簡潔を旨とする禅宗の雰囲気に合っていたのである。このような背景から、室町時代には、僧侶と稚児との物語が、お伽草子に幾つも残されている。その中で、最も文学性が高いのが「秋の夜長物語」である。この物語を古文で読むと、王朝の雅びと仏教的な無常観が融合して、妖艶で神韻縹渺とした詩情を感じることができる。
 
叡山の律師桂海は、菩提を求める心深く、発心して修行をしていた時、夢に容姿美麗の稚児が現れた。偶然、京の三井寺で、稚児梅若を見て、夢の稚児であることを知る。二人は、和歌を交わして親しくなり、一夜を伴にする。
梅若が失踪したことが分かると、三井寺では、叡山の律師桂海を疑い、ここに、叡山と三井寺の争いに発展する。
争いは、叡山の勝利に終わり、三井寺は灰燼に帰してしまう。それを知った梅若は、世の中が厭わしくなり、律師桂海に文をことづけて、近江の瀬田橋から身を投じてしまった。律師桂海は、世の無常を想い、梅若の遺骨を首につけて行脚した後、西山岩倉に庵室を結んで仏道に専修した。これが、西山の胆西上人の前生涯であると物語を結んでいる。

                                                               水干姿の稚児装束

                                              

律師桂海が、修行中のある夜、麗しい水干姿の稚児の夢を見る場面を、古文で紹介しよう。

・・・七日満じける夜、礼盤を枕にして、ちと、まどろみたる夢に、仏殿の錦の帳の内より、容色美麗なる稚児の、いうばかりなく、あでやかなるが、立ちい出て、散りまがひたる花の木陰に、立ちやすらいたれば、青葉勝ちに縫ひしたる水干の、遠山桜に、花二度咲きたるかと疑われて、雪のごとくふりかかりたるを、袖につつみながら、いず方へ行くとも覚えぬに、暮れゆく景色に消え、さて、見えずなりぬと見えて、夢は、すなはち覚めにけり。・・・

「水干姿の稚児装束」をご覧頂ければ、古文の雰囲気が一層よく分かるのではあるまいか。王朝の雅びと妖艶で幻想的な雰囲気が漂っている。このような雰囲気にト短調のシンフォニアはよく合っていると思う。


ファゴット協奏曲変ロ長調♪♪

このような曲を聞いていると、ザルツブルグ時代のモーツアルトを連想してしまう。J.C.バッハが似ているのではなく、モーツアルト方が似ているのである。第1主題のアレグロも歌うようであり、モーツアルトのアレグロ・カンタービレはJ.C.バッハから受け継いだものである。

どの楽章も詩情が溢れており、日本的であると言っていいような優しい雰囲気が心に浸みてくる。何かを語ろうとしているような気がしてくるくらいである。


                       ネルロとパトラッシュ

                    労役に 酷使されしパトラッシュよ
                    汝を救ひしは 老人ならざるや
                    ネルロの愛しき老人は 天に召されたり
                    少年と犬のみ 残されたり
                    ミルク運びにて けなげに稼ぎたり

                    汝み使ひのごとき ネルロよ
                    地主の娘(コ)アロアを 恋したれど
                    家人に うとんじられたりや
                    アロアの誕生日 にぎやかな楽の音を
                    家の窓辺で 独りで聞きしや

                    村人に 嫌われしため 
                    生業(ナリワイ)も 失ひしか
                    汝み使ひのごとき ネルロよ
                    地主の財布を 拾ひたり
                    アロアの父に 渡したりや

                    パトラッシュと 伴に
                    アントワープの 聖堂に入り
                    ルーベンスのイエス 眺めたり
                    パトラッシュを 抱きて
                    み使いの国に永遠(トワ)に 召されたり 


二つのオーケストラのシンフォニア作品18-1

すでに、ヨハン・クリスチャン・バッハの作品18のシンフォニアについては取り上げているが、ここでもう少しふれておきたい。元来シンフォニアは、17・8世紀のイタリアオペラの序曲をさす言葉であった。イタリアオペラの序曲は、急緩急の三部構成で書かれることが多かった。J.C.バッハが「六曲の大序曲集」として出版したのが、傑作の誉れ高い作品18のシンフォニアである。この内の二曲は実際のオペラの序曲である。また、三曲は二つのオーケストラの為のものになっている。

シンフォニアは、次第にオペラとは独立して演奏されるようになる。ドイツのマンハイム樂派により、シンフォニアは純粋なオーケストラ曲として作曲され、第3楽章にメヌエットを加えて、第4楽章からなるシンフォニーに変貌していく。さらにハイドンが本格的なシンフォニー(交響曲)の原型を作り上げ、ベートーヴェン以降の浪漫派の作曲家に受け継がれていくことはご存じの通りである。

二つのオーケストラのシンフォニア作品18-1♪♪ も傑作であり、第1楽章はアレグロカンタービレともいうべき歌うような詩情豊かな楽章である。モーツアルトといえども、これ以上付け加える楽譜は考えられなかったであろう。第2楽章もやはり歌うような雅やかな楽章である。若きモーツアルトに最も大きな影響を与えたのは、このようなJ.C.バッハの緩徐楽章であった。第3楽章もオペラの序曲のようでもあり、やはり詩情ゆたかなアレグロである。

                                                                                          ©竹宮恵子

                 

                        人形の館

                    花咲き乱る 初夏の日に
                    薔薇の館を 訪ねたり
                    三時の午後の お茶会に

                    あまたの人形 ましませり
                    翼広げし 妖精の
                    シャボン吹きたる 少年の
                    華やかなりや 貴婦人の
                    ウェディングドレス 花嫁の

                    いと閑かなる 部屋の中
                    出窓の光 やはらかに
                    湯の沸く音色 ことことと
                    いつしか吾は 眠りしや

                    ふと気づきたり ざはめきに
                    お茶の香りも こうばしく
                    ゆらめく湯気の かげろうに
                    笑いさざめき 楽しげに
                    生きて語りぬ 人形の
                    妖精のごと 動きたり

                    目覚めてみれば 人形か
                    午後の仮寝の 夢なりや
                    帰へりし後も 館では
                    夜の帳(トバリ)の 降りたれば
                    伴に手を取り 見つめ合ひ
                    夜のふけるまで 踊るらん


ヴァイオリンとチェロのための交響協奏曲イ長調

ヨハン・クリスチャン・バッハの傑作のジャンルには、シンフォニアともう一つ協奏交響曲(サンフォニー・コンサルタンテ)がある。協奏交響曲は、18世紀後半のロココスタイルの華やかなりし頃に流行った楽曲で、二つ以上の独奏楽器(弦楽器)とオーケストラによる協奏曲風のシンフォニアで、第1楽章はソナタ形式、第2楽章はロンド形式になるものが多い。全体的に踊るような明朗快活な雰囲気に満ちている。

マンハイム樂派のカール・シュターミッツやロンドンのヨハン・クリスチャン・バッハなどが代表的な作曲家である。この時代にパリ、マンハイム、北イタリア、ロンドンなどで盛んに演奏された宮廷音楽である。J.C.バッハのこの曲は、1870年頃、パリのシベール社から出版されたものである。モーツアルトもパリ旅行で恩師J.C.バッハに再会し(1778)、協奏交響曲を作曲している。

第1楽章♪♪
明朗典雅な宮廷音楽であり、ヴァイオリンとチェロの掛け合いが限りなく美しい。イタリア的な古典派音楽で、ほのかな抒情性に詩情があり音楽性の高い楽章である。フィナーレの独奏楽器のカンデンツァも見事である。

第2楽章♪♪
ロンド形式で、幾分テンポが早めで舞曲になっている。中間部は短調に変わり陰影のある雰囲気を含んでいる。

                                            AUTUMN                ©いがらしゆみこ

                              


                    枯れ葉散るなり 秋の日の
                    明るき日ざし 照らせども
                    なじかは知らぬ 淋しさの
                    そよ風と伴 吹きゆきぬ

                    空は碧しと 想へども
                    花は紅しと 想へども
                    風は涼しと 想へども
                    貴方を想ふ 真心は
                    何にもまして 深きかな

                    ひとり淋しき 幼き日
                    優しき言葉 かけ給ふ
                    御使ひのごと 清らなり

                    薔薇のみ園で めぐり逢ひ
                    心の人と 誓ひたり
                    優しき笑顔 何処かしこ
                    常にあたしを 見つめたり

                    心でいつも 呼びかけん
                    空より澄んだ あの人の
                    天にまします 御心に



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