永遠の生命

永遠の生命とは

永遠の生命とは、キリスト教では神の生命のことであり、仏教では無量寿といい阿弥陀如来の生命のことを言います。キリスト教では、主イエス(父なる神)を信じる者は、すべて永遠の生命を得て天の御国を継ぐことが出来ると説きます。永遠の生命を得ることが、即救いという意味になります。この世のすべての栄華は消えてゆきますが、神の生命は永遠に輝き続けるのです。

「わたしの言葉を聞いて、わたしをつかわされたかたを信じる者は、永遠の命を受け、またさばかれることがなく、死から命に移っているのである」ヨハネ5.24

五井先生も様々な処で、キリスト教的な発想で永遠の生命を説いておられます。

「キリスト(真理)を信ずれば永遠の生命が得られる、ということは本当です。・・・真理はなにか、簡単にいうと、人間は神の分生命である。しかし、想念の世界において生まれ変わり死に変わりするけれども、本心は光り輝き自由自在なものなのだ、というこです。それを信ずれば、信じただけで、永遠の生命を覚得したことになるのです。「質問ありませんか?」p100

信じる心さえあれば

ヨハネ伝で、主イエスは弟子との間を
「葡萄の木と枝」であると説いています。主イエスと師を信じている弟子は一体であり、主イエスにある永遠の生命は、弟子の生命でもあります。

五井先生は、神を想い、すがり、信じることについて次のように述べておられます。

「魂の救われといものは、必ず最後まで神様を思うものの上に輝く。
神様を想うということは神様と一つになるということなんです。
守護霊様守護神様ありがとうございます、と言うことは、
守護霊守護神、宇宙神と一つになることです。」
・・・
それが救われなんです。」
「光明の生活者」五井昌久講話集3 p115

つまり神を想うことは、神と生命において一つになることだから、救われて永遠の生命を得ることになるわけです。信じる心さえあれば神と一つになって救われるんだということになります。

み仏の慈悲、神の大愛

み仏は、煩悩具足の人間を憐れんで、救おうとなさっています。ですから、業が深くてみ仏にすがるしか道がないと思っている者を必ず救って下さるのです。

神は限りない愛で、我が子人間を愛して下さっています。ですから、業があっても、喜怒哀楽があっても、信じる者(祈る者)を必ず救って下さるのです。

「業があるままでかまわないんだから、喜怒哀楽があるままでも、世界平和の祈りと五井先生さえ思っていれば、菩薩様の本体の所に帰れるんだよ、と易しく教えているんです」「自由解脱への道」p55

「宗教の極意というものは、おまえの心を直せ、おまえの我が儘を直せという風に教えるもんじゃなくて
神様は愛なんだから、神様にすがりさえすればいいんだ、と教えるんです」
素直な心」五井昌久講話集2 p162

神様は限りない愛なんだから、神様にすがりさせすれば、必ず救ってもらえるんだよ。そして、神様の力で、いやな性格や我が儘を直して直して下さるんだよ、と五井先生は仰っています。

煩悩をもったままで

「守護霊の導きに従って悪いことが現れた時、動揺してはいけません。これで
業が消えてゆく、必ずよくなると、その信仰をあくまで堅持することです。これが天とつながる道なのです。
失敗しようが、人に悪口をいわれようが、ただただ守護霊を信じ切ることです。信ずるより他にはないのです。」
「生命光り輝け」五井昌久講話集1 p48

守護霊の導きを信じていても不都合なことは起こります。業想念が自壊する時に不都合な現象が起こり消えてゆくからです。不都合な現象がたび重なると、己の業の深さを思い知らされます。その時はつらくとも、大きな観点から見れば、心の不純物が消えて去っているのですから有難いことなのです。逆境の風が激しく吹くと、追いつめられて、善行はおろか、信じる以外には道はなくなってしまいます。だからこそ、救われているのです。信仰がある限り、神の救いの中にあるのです。

「魂の救われといものは、必ず最後まで神様を思うものの上に輝く。」のお言葉を銘記すべきです。

内なる神

神(五井先生や主イエス・・・)を信じる時、神とつながり永遠の生命が得られます。煩悩具足の凡夫であっても、信じる心がある限り、神が内にましまし、永遠の生命があることを信じなければいけません。信の一字で救われているのです。

内なる神は(外的にとらえれば守護の神霊)、魂を浄め心を変えてゆきます。そして、運命が修正され
人生は光明化していきます。次第に神の子の姿に変えられていきます。臨終の時、すべての罪業を神により浄められて、永遠の神の国に凱旋できるのです。

「あなたが肉体を離れるような場合は、守護霊、守護神さんを思っていますし、五井先生がちゃんと応援していますから、邪魔なものをピーっと一遍にきれいにしてしまうんです。きれいにしてあの世にゆくのです。そうすると人間というものが全然変わってしまうんです。」
「永遠のいのち」p132

世界平和の祈り


「世界人類の平和を祈る心は、そのまま永遠の生命につながっている心です。なぜなら、世界人類の平和は、神のみ心そのもの、愛そのものでありまして、永遠の生命のひびきがそのままあらわれている心だからです。」
「愛すること」p245

神様有難うございます 
信じる心さえあれば、救われていることに感謝しましょう。

世界人類が平和でありますように 永遠の生命があることを思いましょう。



モーツアルト ヴァイオリン協奏曲第1番第2楽章
演奏 千住真理子



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