(5)五井昌久の場合

五井昌久(1916〜1980)

大正5年東京浅草に生まれる。昭和24年神我一体を経験し、神通力自在の霊覚者となり多くの人々を救済される。祈りによる世界平和運動を提唱され、文化界・政財界など広く国民に共鳴者が多く、戦後の日本の精神的な支柱になられた。晩年はキリストのように人類の業を背負われ、昭和55年帰天された。

人間神の子

人間は、神から分かれてきた命であり、神と本来一体であり、すべての人々は神の子です。動植物は神の被造物ですが、人間は神の分霊であり、本来命として神と一体です。樹木にたとえれば、神は幹であり、人間は幹から別れた多くの枝葉ということになります。

カルマ(業)と消えてゆく姿

人間が地上に降りて来た時には神と一体でしたが、長い間に神の御心からはずれてしまい、はずれた誤った想念が潜在意識に溜まりカルマ(業)となり、人間に様々な苦悩や不幸をもたらすようになってしまいました。

潜在意識に溜まったカルマ(業)は、様々な苦悩として現れ、消えてゆきます。たとえれば、体内に不純物が溜まると、それが病気という形となって現れるのと似ています。不純物がなくなれば病気も消えてゆくように、カルマ(業)がなくなれば、自ずと人間の苦悩も消えてゆきます。

カルマが消えてゆく時には、病気が治る時に熱が出るように何らかの苦悩が伴います。これを五井昌久は
「消えてゆく姿」と呼んでいます。人間は本来神の子ですから、カルマは月(神の子)の光を遮っている雲のようなものであり、雲はいずれは消えてゆきます。そのように、人間のカルマ(苦悩)もいずれは消えてゆく現象にすぎず、消えてゆくに従い神の子の姿(本質)が現れてくるのであると五井昌久は説いています。

守護霊・守護神

人間の潜在意識に溜まっているカルマ(業)がなくなれば、苦悩や争いもなくなり、神の子としての真の姿が現れてきます。人間を守り導き、カルマ(業)を消して下さるのが守護霊・守護神です。すべての人間には複数の守護霊・守護神がついており、日夜人間のカルマを消し、人間を正しい方向に、より幸福な方向に導いています。

また、守護霊・守護神は、人間のカルマを肩代わりして救おうとされています。守護霊・守護神は、その人の魂の親や祖父母にあたる存在であり、親心で人間を救おうとされています。人間が守護霊・守護神の存在に気づき、守護霊・守護神の慈悲と救いを素直に信じて感謝していれば、守護霊・守護神は、その人のカルマをすべて浄めて、天国浄土(神界)に導いて下さいます。救世主と呼ばれているイエス・キリストや阿弥陀如来は、偉大な守護神であるわけです。

光明思想

このように、人間は本来すべて神の子です。そして人間には必ず守護霊守護神がついて導いています。ですから、人間は全て必ず救われることを五井昌久は力説しています。ただ、救われる時が早いか遅いかの違いがあるだけです。このような考え方を光明思想とよんでいます。

私に荷物を預けなさい

五井先生は、神我一体になられた時、釈尊、主イエスとも一体になられました。そして自ら救世主であることを言明なさいました。五井先生は、信者の心の荷物であるカルマ(業)のを引き受けて浄めて下さり、天国浄土(神界)へ連れて行って下さいます。ですから、五井先生を信じていれば必ず救われます。

世界平和の祈り

守護霊・守護神・五井先生(神仏)は限りない慈悲で、人間のカルマ(罪業)を浄め、最終的には天国浄土(神界)に導いて下さいます。そこで守護霊・守護神・五井先生に素直な心で感謝の祈りを捧げましょう。

守護霊様
守護神様
(五井先生)
有難うございます


さらに、自分が救われると伴にすべての人が救われる菩薩の祈りをしましょう。
世界人類が平和でありますように
日本(祖国)が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように

神我一体の祈り

「世界人類が平和でありますように」という言霊は、神の御心そのものでもあります。ですから、この祈りをする人の心は、神の御心と等しくなっています。この祈りは、神我一体に導く祈りでもあります。

無我の祈り

「世界人類が平和でありますように」という祈りは、すべての人の救いと幸福を祈っています。ですから、この祈りには我欲がありません。したがって、人間を無我の境地(悟り)を導く祈りでもあります。

個人・人類同時成道の祈り

世界平和の祈りは、自分が救われるだけではなく、全ての人類の平和と幸福を祈り、全ての人が救われることに大きな力を発揮します。したがって、個人だけではなく、世界の全て人々が救われていく祈りでもあります。

全ての宗派の人が祈ることの出来る祈り

世界平和の祈りの「五井先生」と言うところを省略すれば、世界のどのような宗派の人でも祈ることの出来、特に「世界人類が平和でありますように」(May Peace Prevail on Earce)は、特定の宗教を信じていない人でも称えることが出来ます。世界人類の合言葉にふさわしい言葉です。

消えてゆく姿で世界平和の祈り


「世界平和の祈り」は、五井昌久が覚者になって、「救世の大光明」から授かった祈りです。「救世の大光明」とは、地球人類を救おうとするすべての神仏のことをいいます。そして「救世の大光明」は、この祈りをする者を、浄め
救済することを、五井昌久に約束なさいました。

吾々人間は、様々な不幸や病気、災難に見舞われます。そのような苦悩は過去生から積み重なったカルマ(業)が消え去って行く時に起こります。五井昌久はその様な苦悩を「消えてゆく姿」と呼びました。カルマが消え去って行く時は苦悩という現象を伴うからです。そこで、五井昌久は、これらの煩悩をかかえたままでよいから、世界平和の祈りに飛び込んで、救世の大光明にカルマ浄めてもらうことを説いています。

人間は幸福な時もありますが、どちらかというと悩んだり辛い時の方が多ですね。そこで、そのままでよいから世界平和の祈りに投げ入れれば、神我一体の祈りにフォーマットされ、浄められていくというように考えてもよいと思います。

消えてゆく姿で世界平和の祈りを行じていれば、人間(人類)は必ず救われることを、五井昌久は繰り返し説いています。

この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りのをするところに
必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、
大調和に絶大なる力を発揮するのです。「人間と真実の生き方」




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