祈りは感謝行

救われようとして祈ったり、願望成就の祈りは、いくら祈っても際限がない。したがって、祈りは苦しくなり、気力で続けていると苦行に等しくなってくる。

神仏の御心に合わせて祈るのが、本当の祈りである。神仏の御心に合わせて祈るには 「ありがとうございます」という感謝の祈りか、「世界人類が平和でありますように」というような菩薩の祈りである。

「神様は愛だから、あなた方は、絶対救われているんだ」

浄土門、いわゆる他力門は、如何なる煩悩をもったままでも、南無阿弥陀仏と唱えていさえすれば、すべて浄土に救い取られるのである、といわれているので、どんな無学な者でも入りうる道であり、日常生活そのままで、救われの道に入りうるわけであります。」


神仏を信じている人は、その人が如何なる状況にあろうとも、どんな煩悩にあろうとも、神仏の無量の慈悲により救われている。そして、五井先生、主イエスキリスト、阿弥陀仏・・・、を通して天につながっており、天国浄土(神界)の民である。すでに「五井先生の救いの船」に乗って天に向かっているのである。

このことを、よくよく思いめぐらせば、有難いという気持が湧いてくる。そして、自然に「有難うございます」という感謝の
言葉出てくるはずである。それが祈りである。自然に、力まなくても、湧くように出てくるのが「感謝の祈り」である。

守護霊様
守護神様
五井先生
ありがとうございます・・・・・・

もはや、祈りに何の強制もない。ただ、自然に湧き出て来る想いが、感謝の祈りとなり、それは延々と消えることはない。自分が救われているという安心感は、それほど人を変えるのである。これこそ「人間革命」である。

五井先生は
、感謝の祈りだけではなく、「世界人類が平和でありますように」という菩薩の祈りを加えられた。これは、人間本来は、神の子であり菩薩であるという確信に基づいている。

神仏により救われた我々は、すべての人を救いたいという想いが湧いてくる。これは
人間が本来菩薩であるからだ。そこで

「世界人類が平和でありますように」という菩薩の祈りに発展していく。そこには何ら強制はない。感謝の祈りが、菩薩の祈りを呼ぶのである。そして、当然のごとく

「世界人類が平和でありますように」・・・・・・と汲めども尽きることなく祈りは続いていく。

このように、真の祈りは、「感謝の祈り」「と「菩薩の祈り」である

感謝の祈りは、業を減らす

「何でも感謝の心をもってやれば業は消えてゆきます。」

感謝の祈り」やこころは業をどんどん消して、人間の性格まで変えてしまいます。それに「菩薩の祈り」も含まれているので、その人は、すでに神の子として菩薩行をしているのです。煩悩の中から菩薩の姿が出て来ているのです。何の力みもない、自然に湧き上がるような祈りの中にこそ真理があるのです。

煩悩をもちながらも、すでに神仏の無量の慈悲により、救われていることをよくよく思い感謝しよう。

すでにもふ 救はれたりし よろこびよ 自然に浮かぶ 感謝の祈り



B.G.M.

ヘンデルのメサイア

No.12の合唱「ひとりのみどり児が、私達のために生まれる」

   図1  羊飼いの礼拝  プッサン



 

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