自由解脱への道

                                                    自由解脱への道


自由解脱するために

よく宗教的な人、いい人に限って「自分はダメな人間だ」というんですね。自分はダメな人間だということは、人間は神の子ではないと言うことと同じなんです。そうではなくて、自分は神様の子なんだから、だめな想いというのは消えてゆく姿なんですね。何だか知らないけど憂鬱になってイライラしてくる。あるいは、淋しくて淋しくてしようがなくなってくる。そういう想いはみんな自分ではなくて、業想念の波がひっかかって来たんです。自分の責任に思わなくていいんですよ。ひっかかってきたやつを天の方へ放せばいいんです。それは消えてゆく姿なんです。p28

その神様は誰かと言ったら、自分の本体なのです。守護霊でもあり守護神でもあり、自分の本体でもある。その中へ飛び込みすりゃいいんです。自分の仏様の中へ飛び込めばいいんですよ。p29

運命の修正、運命を直してくれるのは誰かというと、守護霊であり、守護神であり、五井先生なんです。だけど自分自身がいきばって、自分の短気を直そうとか、いきばって自分の淋しさを直そうとか、いきばって悲しみを打破しようと言うのは、長く続きません。調子のいい時は出来ますよ。「何お!」といって出来るけど、調子の悪い時はどうにもならないです。p35

調子がいいとか悪いとかいうものは度外視して、調子がいい悪いなんて問題じゃなくて、消えてゆく姿なんだ、守護霊様守護神様有難うございます。世界人類が平和でありますように、あるいは「五井先生」と云ってしまうと、想いがいつでも三界を超えてゆくんです。p35

そのように、肉体の人間の頭では、一秒先、一分先のことも分からない。暗中模索しているわけです。何にも分からないけど分かったような気がして生きているんです。守護霊守護神は、ところがちゃんと分かっている。だから神にまかせるんですね。というのは、守護霊守護神にまかせてゆくと、自分の業、自分の悪い癖もみんなどんどん消してくれる。それを他力というんです。それを浄土真宗では阿弥陀さまにまかせろ。南無阿弥陀仏というんです。p37

私のは守護霊守護神がちゃんといるので、乗りさえすればいいんです。消えてゆく姿と守護霊様守護神様有難うございますという想いの中へ乗って行きさえすればいいんです。乗ればすーと行っちゃうんです。それを教えているんです。p31

本心というものと業想念というものをはっきり分けなければいけない。それで、いつも自分は、どんな思いが出てきても、他人がどんなことをしても、それはみんな業の消えてゆく姿であって、自分の中の本当の自分も、向こうの本当のその人そのものも、みんな悪いんじゃないんだ。みんな消えてゆく姿なんだ。ということから、本当の世界平和が出来るんです。p43

他人の悪いものが映って来るのは、自分の業の消えてゆく姿なんです。p42

「あなたの信仰が薄いからあなたの病気が治らない、五井先生の想い方が足りないから、あなたの病気が治らない。」
というのはダメなんです。いいですね、私はそれが大嫌いなんです。それをやったら私の教えは全部壊れちゃうんです。p51

人間というのは、この身体がここにいますが、実は宇宙大に広いんです。自分の中が宇宙なんです。だから自分の心の中を奥へ奥へ入っていくと、宇宙いっぱいに広がるんです。p54

神様をひたすら思うこと

みんな兄弟姉妹なんだ、みんな同じ一つ命なんだ、その一つの命が結ばれて、円になって宇宙神になっているのです。p69

だからどんな間違ったことが起こっても、例えば旦那さんがどんな間違えを起こしても、奥さんがどんな間違えを起こしても、子供がどんな不良になっても、それは、その子供が悪いとか旦那さんや奥さんが悪いとか、親が悪いとか言うんじゃなくて、過去生の因縁の消えてゆく姿なんです。p74

お前が悪い、あいつが悪い、こいつが悪い、と云って間は、宗教というものは成り立たないんです。少しでも人を責める心があったら成り立たないんですよ。p74

神様というものは、この世に生まれてくる人間は全部自分の子なんです。だから、「悪いやつだから、勝手にしやがれ」とは云うわけにいかない。どんなことをしてでも救わなきゃならない。そこに宗教家のつらさがあるんです。p86

用水の中へ落ちゃったら「助けてくれ!」云えばいいものを、「自分でやる、やる」と云うんです。「自分でやったことは自分の責任だから」とやろうとする。それは非常に結構なようだけど、実は結構じゃないんですね。自分をいじめてしまうんです。助けてもらっていいんですよ。「助けて下さい!」と素直に言えばいいんですp88

「神様は悪くないんだけど、人間は悪いんだ」というならば、神様の他に人間があることになっちゃう。それは二元論ですね。神様は完全円満なんだから、絶対に人間は悪いことはない。悪いことがあるというのは、過去生に置いて神様に離れた想いが現れて、消えてゆくところなんです。p108

任せるところから始まる

自分というのは即ちないんです。自分というのは消えてゆく姿なんです。いいことをしようとする自分も、悪いことが出てくる自分もすべてそれは消えてゆく姿であって、真に実在するものは神様の子としての自分なんです。p122

人間の肉体には限界がありますからね。本当に神通力自在にならない限り限度がある。だから疲れた時には休めばいい。眠たい時には眠ればいい。お腹が減ったら食べればいい。そのように疲れた時に、無理して働くことはあまりいいこととは思えないですね。p115

「人間は神様と一つなんですよ」といっても、なかなか一つだとは思わない。「神様はあなたの中にいるんですよ」といってもなかなかそう思わない。それは、なかなか根深いのもです。p120

それは、全託の心「御心ならば、御心ならば」といってお任せした。そういう全託の心にあるんです。だから全託すればいいんですよ。神様に全部の運命をまかせるということが、一番大事なことなんです。p121

みなさんも、どんな病気でもかまわない、どんな貧乏でもかまわない、どんな性格が悪くてもかまわない。悪い性格も、病気も不幸も、全部まかせるんです。自分で直そうと思ったり、自分でとやかく思っちゃいけません。自分というのは即ちないんです。自分というのは消えてゆく姿なんです。p122

本当に私の教えが分かると、過去生の因縁が現れて来たってそんなの問題じゃないです。病気になったって問題じゃない。貧乏になったって何でもなくなっちゃうんです。それでいて自然によくなります。商売をやってれば必ず繁盛するでしょう。成果も上がるでしょう。ただ完全になる過程としては、いろんなものが現れてきます。p134

私は空っぽになった

この世の中が滅びるように見えたって、どういうふうに見えたって、最後は神様がやっているんだから、必ず神様の世の中が出来るのに決まっているんです。それが出来なかったら神も仏もありゃしないんです。必ず神様の御心が地上界に現れるに決まっている。p139

もう悲しいことがあろうと、妬み心がおころうと、そんなことはどうでもかなわないから、その想いのままで世界平和の祈りの中へ入っちゃうと、天御中主神になるんです。そうすると、天の真ん中から太陽が、天照御大神の光がパーと出るんですよ。すると本心が開いてゆくわけです。そして近所の人などもずっと明るくなってくる。p185

解脱への大道

生命の実体はどこから来るかというと、神様の御心の奥深い処、神霊の世界から来るわけです。肉体生命の源に、霊なる生命がある。肉体人間の源に、霊なる生命がある。肉体人間の中に、その奥深くに、霊なる人間が存在しているんだということがはっきり分からないと、この世は核戦争のようなことになって滅びてしまう。

皆さんが世界平和の祈りを本当に徹底して生きていれば、その人はキリストなんです。他のことはすっかりなくして「ああ世界人類が平和でありますように」と本当に真剣に祈っている時は、その一瞬はキリストであり仏陀なんです。p203

過去生から積んできたものは、みんなこの世の中で、この肉体をもったままで消してゆけば、それは非常に楽に消せる。肉体のなくなった幽体の世界で消すには大変な苦労です。だからあらゆる苦しみが来たって、ああ肉体で受ける苦しみは大したことないんだ。ああこの痛みを幽体で受けるよりもっといいんだ。というふうに思ったらいいんです。そういうような想いになると、それはあまり苦しくなくなる。p207

あらゆる都合が悪いことが現れてきても、痛みや病気や不幸が現れてきても、それはあくまで過去生の因縁の消えてゆく姿であって、自分の本心が、その不幸とか災難とか痛みとかが現れたことによって、それだけ開いたんだから、ああ、これで私はまた霊界の地位があがったな、というように思うんですよ、そうすればその人はいつも明るい、どんな不幸が来ても明るい顔をしていられるわけです。p208(完)