儒学における朝鮮国と日本

儒学と言っても様々ありますが、ここでは李氏朝鮮で発達した朱子学を指します。江戸幕府は幕府の正式な学問を朱子学にして、朝鮮半島から多くの学者を招聘して、幕府や諸藩に藩校をつくり、朱子学の本格的な研究と指導にあたります。朝鮮半島では高麗から李氏朝鮮に政権が変わりますが、高麗は仏教を主体としていたので、李氏朝鮮に政権が変わると仏教排斥運動が起こり多くの寺院や仏像が壊されますが、日本では、支配者の学問が朱子学になっても、廃仏毀釈運動は起こりませんでした。仏教は朱子学は共存します。

李氏朝鮮は、中国の儒教を重んじたので、公式文書は漢文になり全ての正式な表記は漢文になります。これは、高麗も仏教を重んじたので、その点では大きな変化はなかったということになります。仏教の正式用語は漢文だったからです。親鸞は阿弥陀信仰を釈尊からの正当な教えであることを証明するために「教行信証」という非常に難解な漢文を書き、阿弥陀信仰の正当性を証明しました。

李氏朝鮮では漢文以外の文字は認められませんでした。しかし、韓国ではすでにハングルという表音文字が発明されていましたが、李氏朝鮮はハングルを嫌い卑しい文字であり日に当たることはありませんでした。貴族(官僚)は皆漢字を習い、漢文で文字を表記することを常識にしていました。これは、日本でも既に平安時代から公式な文字は漢文であり、かなも利用されていましたが公式な文字とはされませんでした。

李氏朝鮮は貴族の子弟は漢文を習い漢字で書くことが常識でした。しかし、李氏朝鮮は愚民主義を取り、一般大衆には何ら文字を教えず、彼らは文盲でした。本も読めずなんら教育は成されませんでした。無知蒙昧な庶民は貴族の支配下に置かれ奴隷のような存在でした。さらに、庶民の下には多くの奴卑がおり、名字もありませんでした。日本でも公式の場では庶民には名字帯刀は許されませんでしたが、しかし、書く家には名字もあり家紋もありました。寺尾家の祖先は農民でしたが名字も家紋もありました。ですから、墓地に行けば、どんな家でも家名があり、家紋があることが分かります。

江戸時代に入ると、一般庶民の生活も豊かになり、子供には必ず寺子屋に行かせ、読み書きそろばんを習っていました。たいたい、兼好法師の徒然草が読めるようになれば寺子屋は創業でした。江戸時代の子供達はあの変な人生論より面白い徒然草を読み書き出来たわけです。

日本では支配階級である武士階級は、愚民政策は取りませんでした。それより、文字が読め武士の用事が足せる庶民の育成に力をいれていました。儒学までは行きませんが、武士と庶民の間にはお互いに交流し合い助け合う思想がありました。

本来、儒学の教祖は孔子ですが、孔子は政治は覇道(力)ではなく、道徳で行うべきだという思想が原点になっています。国民に道徳を教え礼儀の弁えた民にすることにより国を治めるのが儒教の理想です。覇道で力で押さえつけても大衆を治めきれる物ではないという思想があるのです。

日本の支配者も儒教からそれを学び、庶民にも教育を広め道理の弁えた民にすることを重視していました。日本では、すでに江戸時代から高い識字率を誇っており、それが明治の学制の基盤になっています。

さて、日本は日清日露と勝ち進んで、朝鮮を併合しますが最後まで併合に反対したのがあの伊藤博文でした。朝鮮半島は中国の文明を受けて、仏教や儒学も進んでいる国なので、保護国にして近代化したら独立させれば良いという考えでした。台湾のような原住民と少数の漢族のいるところではないので、併合するまでもないと反対していました。しかし、ハルビンで朝鮮人の青年に暗殺され、伊藤博文が死ぬと反対者がいなくなり、日本に併合されてしまいます。

日本が朝鮮半島を統治するのに一番に行ったのは、学制の発布でした。朝鮮大衆はほとんど文盲だったので、文字を教えて早く読み書きを教えることの重要性を見抜いたわけです。日本統治は、欧米の植民地主義とは根本的に違いました。ここが重要なポイントです。

欧米の植民地政策は李氏朝鮮のように愚民政策をとりました。日本統治は朝鮮半島を早く近代化して一人前の国にして、日本と手を取り欧米に負けない発達した国をつくることを目的にしていました。その為には道路や鉄道を引くことから、教育を普及させることが特に大切とされていました。学校では、朝鮮人も日本人も一緒の席について習いました。先生も日本人だけではなく、朝鮮人の先生もいました。

学校では文字を教えることが中心になりますが、文字と行っても難しい漢字しかなく、漢文を教えるのは小学生では無理でした。そこで、採用されたのがハングルでした。日本のかな交じり文のようにハングル交じり漢字を教えたら分かりやすいのではないかということになり、それまで、隠されていたハングルを教育に取り入れていき、表音文字のハングルと表意文字の漢字と両方で意味の通る文を教えることにしたのです。

その最初のハングル交じり漢字をつくったのが、福沢諭吉でした。国語の授業では朝鮮の歴史始まって以来のハングルが子供に教えられました。ハングルは表音文字なので、それだけでは区別の付かない時は漢字を入れて文字教育が行われました。日本人もハングルを学び、伴に朝鮮人と一緒に授業を受けて、給食も一者に食べました。

しだいに、朝鮮人もハングルで読み書きが出来るようになり、知識も増えてゆきました。鉄道も通り遠くの親戚にも合いに行けるようになります。治水工事では、北朝鮮の山岳地帯に黒部ダムの二倍ほどの大きなダムをつくり治水対策を行い、下流には灌漑設備の整った水田がつくられるようになります。このようにして、日本の資本により近代化が進み、日本の工場や会社も進出して、近代国家に成長していきます。

日本では儒学は江戸時代から武士道の根本になっていきます。仁義礼智信という徳目が出来て、論語や孟子、司馬遷の史記、などを通して、公に尽くす人道主義のような精神が発達します。基本はモラルにあります。滅私奉公というようなモラルが重要視されるようになります。

残念ながら朝鮮半島では武士階級はなく、貴族(官僚)階級と庶民という身分しかなかなく、朝鮮半島では武士道は発達しませんでした。



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