過去形と現在形

現実という実態

我々がいつも見て、感じているのは、現実の姿です。自分の姿であることもあるし、人や社会の姿であることもあります。そして、現代では、科学的な方法で、現実の実態を把握して、そのデータから、現実を改善する方策を考え、科学的な方法で、個人や社会の改良を行う仕組みも出来上がっています。これは、現代的な科学がもたらした恩恵でもあります。しかし、それで、人間の心がどれほどよくなっているかは、明確には判断できないと思います。物は進歩しても、人の心が進歩していると断言は出来ないでしょう。むしろ心の病は、現代に至るほど多くなっているともいえるのです。

現実の実態は、実は過去形

そこで、こんどは現実の実態をもっと深く考えてみましょう。一体この現実的な現象は、何が原因で起こっているのかというように、現実的な現象を引き起こしている原因を考えて見るわけです。仏教では、過去世からのカルマが現実的な現象の原因であると説いています。五井先生も、現実に起こっている現象は、主に、人間の過去世からのマルマ(善も悪もある)が、今ココで消えて行っている姿なのだと説いておられます。ですから、今の現象は、すべて過去のカルマが姿をあらわし消えて行っているわけで、今の現象は、過去のマルマの産物であるわけです。つまり、今の現象は「過去形」であるといえるのです。

例えていえば、遙かに遠い星の光は、何億年という昔の光が、今見えているわけです。限りなく遠い星であれば、もう消滅してなくなっているわけです。


「過去の波動がここに現れている」

「私という肉体は、五尺何寸というもので、この肉体というのは皆さんの目に見えていますね。目には見えているけれど、実はこれは本当にあるんじゃないんです。過去の因縁をたどってここに現れている。現されているだけのもので過去のものなのです。というのは、私ばかりではなくて、あなた方も過去の波動がここに肉体となって現れているだけなんですよ。だから、今生活して今なんか考えている。今病気なら病気をしたとする。それは、みんな過去のものが現れて消えてゆく姿なのです。」
永遠のいのちP.210)

「過去形の姿にとらわれても仕方がない」

「だから今、現れている事柄に対して、なんだかんだと心配しても、なんにもならないわけです。それは、もう過去のものだから、単に消えてゆくだけなんですよ。今不幸だといっている、しかし、それはどうしたって、心配したって、それはもう過去にあるものだから、過去にあるものが出て来ただけだから、仕方がないわけです。」
(永遠のいのちP.211)

真の現在形

今、ここで、何を思い、どんな行動を取るかにより、その人の存在が決まります。過去形の消えてゆく姿にとらわれて、不幸だと思うか、今の姿は過去形だから、それはそのままにしておいて、より善いことを思い、善い行動を取っていけば、過去のカルマがどんなものであっても、その人は、より善い人になっているわけです。

真の現在形は、今ここで、過去の消えてゆく姿にとらわれないで、何を思い、何をするかで決まるわけです。今の現象は、過去形で、今の自分ではありません。

苦しい時

とはいっても、病気で痛みが来ている時、仕事がきつくてしんどい時、人間関係で嫌な思いをしているとき、これは過去形だと思っても、現実に苦悩が感じられるわけですから、とらわれるなといっても、どうしても思いがいってしまいます。いったんは勇気をもって、苦しさから逃げず、苦しさを受け止めて、「これでマルマが消えて行っている。神様は善なる存在なんだから、必ず善い方向に向かっている」と信じることと、苦しみはそのままにしておいて(意識すると一層苦しくなる)祈りに切り替えることです。祈りは神仏とつながることなので、神様の中に飛び込んでいけばいいわけです。

祈りの大切さ

世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完うされますように

平和の祈りは、すべての人が救われ幸福になりますように、という祈りですから、神の子であり菩薩の祈りでもあります。この祈りが心にこだましていれば、今どんなに苦しんでいても、そのひとのは神の子であり菩薩であると、五井先生は言われています。神の子であり菩薩であれば、その人は五井先生を通して救われています。

神の子であり菩薩であることと、すでに救われていることを感謝して

守護霊様
守護神様
五井先生
有難うございます

感謝の祈りをします。例え病床にあっても感謝の祈りが出来る人は、天国の人です。
さらに、また、有難く、感謝の祈りを続けましょう。また、守護霊様、守護神様に心を向けて祈っていれば、人間のカルマを身代わりに消して下さり、より楽に、より幸福になっていきます。

祈りの世界

祈りの世界にある人は、どんなカルマの波をかぶっていても、それとは関係なく、現在進行形として、その人は神の子であり菩薩であります。それは、永遠の生命(神の命)があるということでもあります。


「それ(消えてゆく姿)をハッキリ観念して、純粋に素朴にそれ(世界平和の祈りにより救われること)を信じてゆくということが悟りなんですよ。」(永遠の命P.212)


この世での すべてのことは 消へゆかん 神の子のみぞ 真なりけり

いかような 波かぶれども 救はれん 平和の祈り 菩薩なりけり



B.G.M.

コレルリ 合奏協奏曲作品6の第1番

                              コンティネンツァとスキピオ       セバスチャンノ・リッチ


 




                                                    ホームページ