五井先生は神の化身

今朝早く起きて読み終わりました。高橋英雄さんが五井先生と出会い、亡くなるまでの様々なエピソードを添えて、分かりやすく、面白く、五井先生のみ教えを含みながら書かれた本で、系統だった論説文ではありませんね。五井先生の生涯をエッセイで表現された読み物でした。それでも、付箋を22入れて参考になるところを記しました。全般的に五井先生の神秘的な能力については余り触れられてない気がしました。

今の白光の五井先生を余り神格化しない方針みたいな物を感じましたが、私の誤解のような気がしないでもありません。読者にとっては五井先生がこんな神秘的なことをされたと言うのが一番インパクトになるのですが、そう言う本ではないですね。

高橋英雄さん自身が全く霊格のない方なので、それもやむを得ないと感じました。高橋さんが霊格ある方ならば、五井先生研究も後10倍くらいの人が見てると思います。高橋英雄さんの五井昌久研究も同じことの繰り返しになり、目を通すぐらいで今は余り真剣には読んでいません。

私が一番参考になった箇所を抜き出してみます。本書の142p.に

「実際は任せるも任せぬもない、何から何まで神様の方で、ちゃんと定めてやって下さるのですから、全くとやかく頭を悩ましているのが笑止の沙汰なのです」「運命を恐れるな」p.227

全託というと非常に難しく感じますが、このように言って下さると、神様を信じてやっていれば良いんだという気持ちになって、随分楽に思えます。とにかく、あれやこれと悩まないで、出てきたことは神様の御心と捉えて肯定的に生きれば良いということでしょうか?私はこれを読んで随分楽になりました。余り考えないこと、これが秘訣なのかも知れません。

五井先生の思想を論理化するのは、これからの人の課題だと思います。私の考えでは世界の三代聖人は、キリスト、釈尊、そして五井先生です。しかし、五井先生の講話や著書は素晴らしいことが幾つも幾つも書かれていて、聖書や仏典の比ではありません。宗教学からも厳密に吟味して、五井先生の専門書が必ず出るときが来ると思います。

宗教問答などは、古くさいところは一部割愛して、一日も早く英訳して海外へ紹介したいのですが、白光は何もしませんね?五井先生の布教などは露ほどにも考えていないですね。今の会長も五井先生が亡くなってしばらくは、国連に働きかけて「世界平和の祈り」を英訳で国連総会で唱えたりしたことがありましたが、あの「我即神也」をやり出してから別人になりましたね。

あんなことを唱えてると、大天使ルチフェルが自分が神なろうとして、絶対神から怒りを買いルチフェル一味を地獄に落として悪魔になったという、キリスト教の伝説をつい思い出してしまいます。キリストでさえ自らのことを人の子と呼び、一度も神の子とは言っておりません。ただ間接的に「私を見た者は神を見たのである」といって、神の化身であると言っているだけです。

これが五井先生も同じですね。キリストは神であるとは一度も言っていません。神は父なる神として、私よりももっと偉大な方であると言っていますね。これが常識です。唯一絶対神は一人しかおられません。沢山いたら宇宙は大分裂を起こし滅びてしまうでしょう。

お釈迦様も阿弥陀様も御大師様も観音様も、キリスト様も聖母マリア様も、ムハンマドもモーゼもアブラハムも、五井先生もみんな神の化身です。(絶対)神ではありません。ここを間違えると、高慢になり自分が神だと名乗りカルトになってしまいます。

今の白光は魔物がびゃっこしています。五井先生の前世を日蓮だというバカがいます。会が創価学会の侵略を受けているのです。雅子様の父親が創価学会の幹部ですからありうる話です。君子危うきに近寄らず。私は白光とは何ら関係はありません。



homepage