神人黒住宗忠

今、黒住宗忠の伝記と解説の本を読んでいます。五井先生が宗忠のことを称賛しておられるので関心があったことと、書籍の副題が自然体で生きる道とあるので買って見ました。私も60代になり、無理が出来なくなってきたので、自然体という言葉で検索すると黒住宗忠の書籍に出会いました。

読んでいると、黒住宗忠が如何に偉大な人であるかが分かってきました。五井先生級の人です。日本にこんな偉大な人がいるとは思っても見ませんでした。素晴らしい神通力を持ち、多くの病人や悩める人を救っています。これなどは、五井先生と等しい力をもった神人であることを証明しています。

生まれは、岡山県岡山市の神主の子として生まれます。ただ生まれた日が冬至の日の日の出の時刻というのがすごいと思いました。時代は17世紀の後半でちょうどベートーヴェンの生まれた頃に重なります。江戸幕府後半の時代です。宗忠は両親をチフスで失い、大変落胆して自分も肺病になり命の灯火が消えかけたころ、自分が冬至の日の出の時刻に生まれたことを思い出し、その日に日の出の太陽を拝んでいました。ところが、その時天照大御神が宗忠の中に入り心を照らし「天命直授」を体験して、肺病は奇跡的に治ってしまいます。

そして、人間は全て天照大御神の分心(わけみたま)であることを悟ります。しかし、ここからが宗忠のすごいところで、(どこかの会長とは大違い)心に天照大御神の存在は観じていても、完全に天照大御神と一体になり、天照大御神の力が発現していないことを観じ、何と12年間も修行に明け暮れます。百日参籠、一日に一万回の短い祝詞を上げ続けたりして、徹底した修行をつづけ、自分が人を助けることが出来るような存在になることを願います。ついに宗忠は天照大御神と一体になり不思議な力を授けられます。

ある日、近くの女性がつわりがひどく苦しんでいるのをみて、手をかざすと、すーと痛みが引いてしまいました。その女性は宗忠のことを近所の人に言いますと、それを聞いた人が、何かで痛みがあると宗忠のところに行き、痛みを和らげてもらうようになりました。宗忠の噂は次第に広まり、病気直しに宗忠の処に行くようになります。

若い頃に眼病にかかり失明した男がいました。誰かが宗忠先生の処に行けば治るのではないかと教えました。その男は半信半疑で宗忠のところに行き、説法を聞いていました。そして感動の余り涙を流すと目が見えるようになりました。こんなことは、日本の歴史始まって以来だと思い、その男は宗忠の直弟子になりました。

また、あるときハンセン病で顔に膿の出ている人がおり、ある人が宗忠先生の処に行ってみてはどうかと教えました。彼は縋るような思いで宗忠のところに行き相談をしました。宗忠は憐れんで素手で膿を取り払おうとしました。それを見ていた宗忠の奥さんが、宗忠の手が穢れたら信者の人に申し訳ないのではないかというと、宗忠は天照大御神の了解を得ていると話し、素手で膿を取り払いました。すると、その病気が治ってしまいました。宗忠自身もライ菌に触れましたが何ともありませんでした。

あるとき、剣道場の主人がやってきて、道場破りの男が来て、戦っても破れずどうしましょうかと相談に来ました。すると宗忠は「負けなはれ」と言って説法をしました。勝とうと思う欲があるから勝てないのだ。その心を捨てて無心になれば楽に勝てると教えます。道場主は帰って、翌日戦うと、相手の竹刀は吹っ飛んで勝つことが出来ました。

このように、宗忠の噂は広く広がり、多くの人が病気治しや悩みを打ち明けにやってきて、病を癒やし、悩みを解決して、宗忠の噂は京の都まで届くようになります。宗忠の死後京都に初めて宗忠神社が朝廷の許可で造られました。宗忠神社は朝廷の特別の相談所になりました。

この様にして、黒住教は多くの信者を得ていきます。宗忠は天照大御神におませして疑わなければ必ず願いは叶うと説きました。叶わないのは疑うからだと言って、弟子達に説法をしました。

これは、五井先生の全託の教えと同じだと思います。それにしても、盲人の目を開いたり、ハンセン病の人を癒やしたり、キリストと同じことをしているので、大変な聖者だと思います。こんな偉い人が日本の江戸時代にいたことは全く知りませんでした。特にハンセン病の人を癒やしたことは奥様がよくご存じなので、信者の人に良く語っていたそうです。

五井先生の神通力もキリスト並みでしたが、未だに日本全国に知られていないのが残念ですが、黒住宗忠の神通力もキリスト並であったことが分かり驚いています。キリストのことは世界によく知られていますが、黒住宗忠や五井昌久先生のことも、日本でも、全国的にほとんど知られていないので残念だと思っています。



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