二つの救済観

魂の救済

悩みや苦しみがありつつも、如何にしたら人間は救われるのでしょうか。苦悩や煩悩がなくならなければ救われないなら、救われる人は、ほんの僅かな人がけになってしまい、人類を救う福音にはなりえないでしょう。煩悩を持ちながら救われる道があることを五井先生は説いておられます。

善悪混交の魂

魂は、過去世からの業想念と神から受け継いだ霊性とが、混じりあっています。そのような人間を親鸞は「煩悩具足の身」とよんでいます。これが人間の実態です。こんな人間がどうして救われるのでしょうか。親鸞は、それはみ仏の慈悲にすがるしかないと考えました。

み仏の慈悲

み仏は、どんなに業が深くても、すがってくる人間をすべて救って下さるのです。善人で、神仏に頼らなくても生きていけるという人より、自分の業が深いことを自覚し、み仏にすがって来る人の方が、はるかに早く救われるわけです。

み仏の慈悲にゆだねる(浄土門)

悩みも苦しみも、ダメな自分も、祈りに投げ入れて、み仏の慈悲により救って頂くのです。煩悩具足のまま、み仏にゆだね救って頂くのです。そして、業想念をもったままで救って下さるみ仏に感謝の祈りを続けます。そうすると、み仏の光で、業想念も浄められてゆき、次第に悩みや苦しみも楽になっていきます。五井先生は、浄土門という言い方で、み仏にゆだねて行く道を説いておられます。

人間神の子観

これは、人間はすべて神の子であり平等である、という発想からくる見方です。
人間の魂を、業想念と神の子の性質に分けます。どんなに深い業のように見えても、業想念は消えてゆく姿であり、神の子の性質は、神から受け継いだ性質です。これは、自分だけではなく、すべての人間にいえる真理です。つまり、人間の本質はどこまでも神の子でるという立場にたちます。

守護霊、守護神

人間は、自分の力ではどうしようもないような業想念を抱えています。その業想念を消して下さるのが、守護霊、守護神です。守護の神霊に人間のすべての業想念を任してしまいます。そうすると、どんな悩みや苦しみもいずれは消えてゆくわけです。人間の真の姿は、消去ってゆく業想念ではなく、神の子であることを自覚します。

初めから救われている神の子

どんなに深い業であろうと、消えてゆく姿にすぎません。人間は神から分かれて来た命ですから、本当は、初めから神の子として救われているのです。ただ、それを忘れていただけなのです。五井先生のみ教えを通して、人間の本当の姿は、神の子であると知りました。すると、神の子であるということは、救われているということになります。神の子は、神の命を持っているからです。人間の中には、神の命が内在しています。

消えてゆく姿で、平和の祈り

業想念を消えてゆく姿として自覚しているのは、神の子人間です。さらに、世界平和の祈りをしているのも、神の子人間です。ですから、常に消えてゆく姿で世界平和の祈りをしているのは、神の子人間です。つまり、どんなに業想念の波をかぶっている人であっても、消えてゆく姿で世界平和の祈りを行じている人は、神の子人間であり、救われています。

「今貧乏である、今病気である、今不幸である。そうすると、今の自分が間違って
今の自分が不幸なような気がするんです。そうじゃないんだ。今の自分とは違うんです。
過去世の波が本心の前を通り過ぎてゆくだけなんです。今の自分とは違う。世界平和の祈りを
聞いて、お祈りをしているあなた方は、神の子であり、菩薩であり、天使であり、救世主なんだ。
今不幸だ、今病気だ、今なんだかんだと言っているものは、消えてゆく姿なんですよ。

過去のもの、すんじゃったものが、現象に現れて消えてゆくんだから、掴みさえしなければ
そのまま消えていく。では自分は何を掴んでいればいいか。神様だけを掴んでいればいい。
「ああ自分は神の子なんだな、自分は天使なんだな、自分はこの世に世界平和の祈りのために
来ているんだな。」というように本当に思って平和の祈りの中へ入ってくれればいいんですよ。」


「自分を罪深い者と思い、駄目な者と思ってはいけません。自分は神から来た者であることを、
一心をこめて知らなければいけません。駄目なのは、あなたが肉体だけを自分だと思っているからで
あなたの本体は神から来ているのですから、本体は神の子なのです。
駄目な自分はすべて消えてゆく
姿で、自分の本体ではありません。
その真理を信じて、自分を赦し人を赦し、守護の神霊への感謝を
つづけ、世界平和の祈りに明け暮れるようにしてごらんなさい。必ずあなたに夜明けが訪れます。」


浄土門

業想念と伴にすべてを祈りに投げ入れ、業想念を軽減してもらうとともに、み仏により救って頂いたことを感謝していく道。

人間神の子観の道

あらゆる苦悩は消えてゆく姿であり、世界平和の祈りを行じている人は、神の子人間であることを自覚して、それゆえに救われていることに感謝していく道。

総括

五井先生は、どちらの道も説いておられるので、自分に向いた道を行けばよいと思います。両者の道も、祈りと感謝を続けるうちに、業想念が消されていき、現世利益の現象が現れると伴に、神の子、仏の御心が現れ、霊性が大きく開発されて行くでしょう。


煩悩の 雲厚くとも 嬉しきや 御国を継ぎし 永遠の歓び

人は皆 神の御子なり 愛しの子 信じる者を すべて救はん



B.G.M.

J・ハイドンオルガン協奏曲ハ長調

                                     ブージヴァルの庭          モリゾ

    




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