迷いと信仰

迷いやすい人間

気分が落ち込んで、悲観的になった時、病気で痛みが来ている時、あるいは、何かでショックをうけ、精神が動揺している時、気持に迷いが生じて、神の愛も救いも信じられなくなることがあります。返って、不信感の方が強くなり、今までの信仰が何処かへ消えてしまったのではないかとも思われる時があります。

煩悩が重くのしかかってきて、人間神の子というような言葉も虚しい響きに聞こえて来たりします。このような時に、どうすれば、神仏への敬虔な信仰に立ち返ることが出来るでしょうか。

親鸞の悪人正機説

この様な時には、親鸞聖人のお言葉を思い出してみるとよいと思います。煩悩に蔽われてもう駄目だと思う人を、み仏は憐れんでお救い下さる。また、自分では悟ることの出来ないような凡夫を救うために阿弥陀仏の本願があるんだ。こんな自分でも、み仏は憐れんで救って下さるのだ。ありがたい。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、ありがとうございます。

み仏は、出来が悪ければ、悪いほど、一層憐れんで救って下さるんだ。なんてありがたいんだ。ありがとうございます。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、とこのように感謝の言葉が出てくれば、貴方は立派な祈りの世界に入っています。

五井先生の言葉

「自分が悪いから神様に救ってもらえない、と思ったら間違えです。
その間違った想いがあるままで妬みの想いがあるままで、恨みの
あるままで救ってもらえるんです。それでなかったら、本当の信仰に
なりません。」

「お前が悪いんだから、それは自分ではらわなければならない。自分で出した行いは
自分で償え、それじゃ、宗教家が出た意味がない。サアその悪いのを私に下さい。私がみんな
もらってあげましょう、というんです。」


五井先生も、如何なる煩悩をもったままでも救って下さるんだ。何故なら、人間のすべての業を、五井先生は引き受けて消して下さるからなんだ。ありがたいな。五井先生は、救世主なんだ。ありがとうございます。五井先生ありがとうございます。

親鸞から五井先生へ

ありがとうございます・・・
南無阿弥陀仏・・・
ありがとうございます・・・
五井先生ありがとうございます・・・
世界人類が平和でありますように・・・
五井先生ありがとうございます・・・
世界人類が平和でありますように・・・
五井先生ありがとうございます・・・

「世界平和の祈り」は現代の「念仏」
ごれは、よく五井先生が言われていたことです。
念仏は、慈悲深いみ仏への感謝からはいります。「世界平和の祈り」も、救世主である守護霊・守護神・五井先生への感謝の念が先にあり、そこから「世界平和の祈り」が始まります。

「世界平和の祈り」には、「世界人類が平和でありますように」という菩薩行がメインになっています。これも、神仏への感謝行の中から生まれてきた祈りです。自分が救われた歓びから、初めて人々を救おうという気持が湧いてくるからです。み仏や五井先生に救われた歓びがあるから、人々を救おうという大きな気持になれるのです。

み仏の 無量の慈悲の なかりせば われ如何にして 救はれえんや

有難き 五井先生の み言葉は すべてを救ふ 慈悲のお心



B.G.M

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