心貧しき者は幸いなり

                                                     心貧しき者は幸いなり

一、貧しき者は幸いなり

・貧しき者は幸いなりの真意
・悔い改めるということ
・初めからみんな救われている
阿弥陀様というのは宇宙に遍満する大神様です。その中に法蔵菩薩
が一体となって、そのまま阿弥陀様になったわけです。みんなを救わなければ自分は仏にならないと言った菩薩様が、仏という名前で現れているわけですから、みんなは救われるのに決まっているんです。ということは、初めから、人間は罪の子ではなくて、神の子だ、みんな救われているんだ、という証明なんです。これは浄土門系の教えです。

・神様と一つになる祈り言
・総まとめの教えの出現
・聖道門と浄土門
・現代の究極的な救われ
自分の肉体では何事もなしえないんだ、みんな神様にやって頂くんだという形がなければ、宗教は成り立たないんです。そう言う気持で平和の祈りの中に入ってゆくわけですね。

二、洗礼のヨハネ

・洗礼のヨハネの偉さ
・宇宙神の深さ、高さ、広さ
・目的は高く持つ

三、十字架と奇跡

・キリスト教が広まったわけ
・十字架の神の意味
人間というのは、みんな罪深いもんだ。とみんな罪人なんだと恐れていたわけ。そこで、私が、みんなの身代わりになって、その罪を消したんだから、あながたは、私に従えば、いわゆる肉体人間の業というものはなくなるんだ、と教えたわけです。

みんな神様の働き場所

四、真理は汝を自由にならしめん

・互いに相愛すべし
・汝を自由に

五、エホバはねたみの神・怒りの神か?

・神様は罰しない
本心が進んでゆくと業が崩れてゆく。それが病気なったり、災難になったりする。自分で自分を罰してるんですよ。

・本心と業想念と分ける
神様が創った人間だから、全部神様に責任があるんですよ。神様の全責任だから、神様に全部任しちゃえばいい

・人間はもらいっぱなし

六、心豊かな生活と心貧しき者

・すべてに感謝の生活を
・生老病死の苦しみを解脱する道
・一人ひとりの想いが人類の運命に影響する
・常に常に祈る

汝の信仰 汝を癒せり

・神様を思えば救われる
神様を思えば救われるんだな、という想いが信仰ですね。神様に想いを向ければ、それがもう救われの第一歩です。救われていることになっている。

・宗教と科学と世界平和の祈り

八、汝の信ずるごとく汝になれ

・大きな運命、大きな天命
・菩薩行としての生まれ変わり
修行の場として苦しみのある環境を与えるのと過去世の因縁をはらすために、と二つあるわけです。

・永遠に生き続ける生命
・あきらめるということ
不幸な境涯の中に生まれ、不幸な生活を送っている人があるとすれば、それは永遠の魂のためにこうなっているんだな。自分の魂の修行なんだな、とあきらめないといけませんね。

九、永遠の命

・永遠の命を失ってはならない
・枝葉の想いを取る
・消えてゆく姿で世界平和の祈りがいい
・反省があって囚われなくなる

十、人類の変換する時

・新しい人類の誕生
今の地球人類の考え方、宇宙観、人生観、人間観というものが、まるっきり変わってしまうということです。もっと言い換えれば、にくたい波動がまるっきり変わって、霊妙なる波動に変わる、と言う時代が来るのです。

・最後の審判を乗り越えるために
やがて本当のことが分かってくると、「ああ自分はこの世にとって大事なものなんだな。自分はつまらなそうな人間に見えるけど、実はつまらない人間ではなくて、世界を本当に平和にするための天使の一人なんだ、菩薩の一人だったんだ」ということが自覚させてくるわけなのです。

一番大事なこと
・想念が光になる

十一、質疑応答

・キリストの再臨
真理に目覚めて、今まで神の子であった、ということを自覚する。それが復活、再臨なのです。

イエスとはどんな人
人間は人形ではないんです。神の分け命なのです。そして神様から命の自由を与えられているのです。だから、善いことをするのも、悪いことをするのも自由なのです。あんまり悪いことをするのも自由といっても、亡びてしまったのでは、神様とすれば自分の子供ですから困るのです。そこで、神様は適当に自由を与えているけれども、最後に危ない時には、守護霊、守護神が天下ってきて、悪を止めたり、悪を亡ぼしたりするわけです。

人類の罪とは
守護霊さんや守護神さんが、肉体の身代わりをして、原罪をかぶって下さって、救ってくれるわけです。だから、守護霊様、守護神様有難うございます、というふうに祈るべきなんです。

・人類六千年の業とは
みんな仏で救われているという、確信を私は持っている。それでなければ、私はこんな仕事をしていません。
ただ、皆救われると言うところに来るまでには忍耐がいる。この世は消えてゆく姿と忍耐力です。そうすると必ず本当の世界がきます。

・最後の審判とは
すべての人が救われる。誰も彼もがみな救われる。ただ、救われ方の年代の相違はあるかも知れないけど、すくわれる。ということは、初めから救われているということです。

とにかく真実のことは、神様は大愛であって、あらゆるものが、すべて救われているんだ。救われているけれど、みんな自覚していないから、救われの自覚をハッキリ現す時が来るんだと言うこと。

・宿命論について
地球だけではなく、宇宙の星からも応援に来て、守護の神霊が地球界の業想念を浄め去ろうとして、一生懸命働いていらっしゃる。その救世の大光明にすがっていく祈り、その救世の大光明の波長に合わせる祈り、それが「世界人類が平和でありますように」という祈りなんです。




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