み仏の救い

心の疲れている現代人

経済の発達は、人々の生活水準を高めましたが、反面激しい自由競争は、心の疲れた現代人を多くつくりだしています。心の疲労は、家庭や友人などの温かい愛情で癒されますが、現代では得てして家庭もコミュニティーも愛情を失い、心の疲労を癒す機能を失っています。心が癒されなければ、意欲を失ったり不安になったりして、自己嫌悪感を抱きやすくなります。このような問題は、現代社会の何処にでもある問題となっています。現代人は、ある意味では、多くの人が心の救いを求めているといっても過言はないと思います。親鸞聖人は心の救いに次のように仰っています。

親鸞聖人の言葉

「煩悩具足の我らは、いずれの行にても生死を離るることあるべからざるを憐れみ給ひて
(煩悩から離れることのない私たちは、どのような行をしても悟ることがないのをお憐れみになって、)
願をおこし給ふ本意、悪人成仏のためならば(阿弥陀如来はすべての人を救おうとする本願を起こされましたが、それは、業の深い人間を救って成仏させるためであり)
他力を頼み奉る悪人は、もとも往生の正因なり。」(み仏にすがるしか救いようのない業の深い人こそ、阿弥陀如来の悲願にかなう人なのです)

「信じる者は救われる浄土門」「霊性の開発」p85

み仏(守護の神霊)は、信じる心さえあれば、どんなに業の深い者をも救って下さいます。み仏の本願は、業の深い人間を救うためにあるのだと親鸞聖人は仰っています。業が深ければ深いほど、み仏は憐れみを以て救って下さいます。今まで誰からも優しい言葉をかけて貰ったことのない人でも、み仏は無量の慈悲で顧みて救って下さいます。み仏の救いを妨げるような罪業はありません。

み仏の救いとは

み仏(守護の神霊)を信じると、どんな困難な境遇にあっても、必ず人生は光明化します。そして、天の御国に往生できます。何故ならば、み仏が信じる人の業をすべて浄めて下さるからです。これは五井先生の堅い約束です。後のことはみ仏にすべて委ねればいいのです。み仏の方でよきに計らって天の御国まで連れて行って下さいます。安心して日々を送っていればいいのです。

心の安らぎ

業の深さに襲われそうになっても、そのような者を救って下さるのがみ仏の本願ですから、「こんな業の深い者を救うためにみ仏の本願があるんだ、救われて天の御国へ往けるんだ、有難うございます」と素直にみ仏により救われていることを信じることが出来ます。辛い時でも、み仏の救いを想い、手を合わせることが出来ます。このようにして、安らぎを以て生きて行けるようになります。これが救われた人の人生なのです。

神様有難うございます どんなに業の深い者をも救って下さる神様(如来様)に感謝をしましょう
世界人類が平和でありますように 自分が救われるだけではなく、すべての人が救われることを祈りましょう

煩悩の 雲厚くとも み仏の 尊き願に 救ひあらんや

受け入れて 離すことなき み仏の 尊き願に 救ひあらんや

み仏の 深きご恩を 想ふとき 苦しき時も そっと合はさん

み仏の 無量の慈悲を 讃美せん 信じる心 菩薩の心



BGM J.S.バッハ カンタータ第1番「暁の星はいと美しきかな」

                                             受胎告知       アンブロジオ・ロレンツェッティ

                                       


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