日本教の我が家

私がクリスチャンであったことから、マリア様、イエス様の像やお写真がありましたが、キリスト教会に行っていると必ず自分を責めるようになります。これは、新約聖書のパウロの言葉やキリストの言葉にきついところがあるからかもしれません。キリストはよく売春婦と一緒に食事をしながら教えを説いていたことなどを考えると、キリストの厳しい言葉は、偽善者について語られた言葉かも知れません。

今のキリスト教会では、イエスだけが神の子で救世主です。他宗の教祖は偽預言者ということになり、昔はイスラム教徒に十字軍を派遣したりしています。白人至上主義の思想的なバックボーンになっています。このような狭い教えに批判的になり、イエス様、マリア様の像はカトリック教会に引き取って貰いました。日本人の様に多様な神々を受け入れる民族には、キリスト教は魅力的ではなくクリスチャンの数は人口の2%位だと思います。先進国では非常に少ない数です。

私はキリスト教も仏教もイスラム教も根本的には、一つの絶対神から分かれてきた教えだと考えているので、クリスチャンのような発想は出来ません。実際教会に行って、五井先生のことを話すことなどプロテスタントではあり得ない話です。カトリックの方が世界的な宗教なので、他宗とも対話を行っています。イメージ的にいうとカトリックの方が厳しそうに思いますが、教会へ行って話すとカトリックの人の方が遙かに寛大です。

自分の部屋に飾ってあるのは、広隆寺の弥勒菩薩像です。表情が慈悲に満ちあふれているので昔から好きでした。

また、庭には玄関に近いところに神棚があり、土地の神様である氏神様を祭っています。これは、妹に霊感のある友達がいて、色々不幸が重なった頃があり、土地と家を守ってくれる神棚を備えました。仏壇には真言宗の全日如来と御大師様が祭られています。そして、仏壇には五井先生の写真の写った歌集を供えています。

五井先生のお写真(祭壇)はありません。五井先生は心の中におられ、また至る所で祈るので祭壇は必要はないと考えています。これは、洗礼を受けたプロテスタントの考え方に近いと思います。実際聖が丘道場では祭壇はなかったと思います。教壇と五井先生の書かれた書が掲げてあるだけだったように拝察しています。

毎朝仏壇にお茶を供え(体調の良くないときはひかえさせてもらっています)、また同じように庭の氏神様にもお酒を供えています。

このようなことをしても、何も違和感がないのが日本人ですね。全ての神仏は唯一絶対神に繋がっているという想いがあるので、その様にしています。まさに日本教です。

世界人類が平和でありますように




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