神仏の慈悲を信じること

偽善者は絶対に神仏などは信じません。こんな不公平で矛盾した世の中に、神などあるものか!と本気で思っているのです。

こんな不公平で矛盾した世の中を作ったのは、人類の過去生からのカルマが作っているのであり、神仏(守護神守護霊で法則としての神ではない)は何とかして、人類の深いカルマを浄めて、人類を助け幸せにしようとしています。そして最終的には人類を救済しようとしています。

その為にキリストは人類の罪を背負い十字架にかかり、五井先生も同じく7年間も激痛に耐えて人類の罪業を背負われました。そして、「私は、あなた方の罪業を全て引き受ける。もしそれが出来なければ、法蔵菩薩のように、私は永遠に仏になれないことになるんです」『私に荷物を預けなさい』と仰っています。ここで五井先生は法蔵菩薩(阿弥陀様)と重ねて仰っています。つまり、阿弥陀様も大変な犠牲を払い、人類のカルマを引き受けて仏(覚者)になったことを暗に示しています。

クリスチャンはキリストは歴史上の人物であり、阿弥陀如来は仏典の空想の産物であり、阿弥陀様にすがっても救われないと主張しますが、それが間違っていることは、五井先生が己と阿弥陀如来を同格に論じていることで分かります。

五井先生の想像を絶する苦難が終わったときに、キリストが涙を流して「よく耐えられましたね」といって五井先生をねぎらいに来たことを考えても、キリストも五井先生も阿弥陀如来も本質的には同格であることを示しています。全て想像を絶する苦難の後に救世主になったことを意味しています。そして、それぞれを信じれば真に救われることを意味しています。

キリスト、五井先生、阿弥陀如来の限りない慈悲と救いを信じる人は、素直で慈しみの分かる人です。慈しみが分かると言うことは、己の心に慈悲の心がある人です。日本の国が滅びて民が塗炭の苦しみを味わうことを防ぐためなら、自分を犠牲にしてもよいと思える人です。

日本人の心の中には、みんな心の底でそのように思えるものを持っています。だから、日本人は民度の高い民族なんです。特攻隊もごく普通の青年が志願しました。今現在でも、世界各地で人々の救済に命を賭けている日本人が沢山いて、海外で日本人が犯罪を犯したり、人々を虐待しているニュースを聞くことはほとんどありません。

日本人のツアーのパスポートは何処の国でも写真さへ見ないでフリーパスであることは良く知られています。日本人がそれほど海外で信用されていることの証明でもあります。

神仏を信じることは、己の心に神仏が存在していることです。だから、神仏を素直に信じられる人は心に神仏の心のある人です。だから救われるのです。

確かに、現実の人生は煩悩や矛盾があっても、それは過去生からのカルマの消えてゆく姿であり、神仏を信じている人は心の奥底に神仏が内在しており、何れ何処かでその姿が現れる時が来ます。死んでも、ああ!あの人は本当にいい人だったと思われる人たちです。日本人のほとんどは、みんなそうで、イジメで自殺した少年でも、あの子は本当に優しい子だったと言われることを良く新聞で見ます。

日本人を悪魔のようだと言う人は朝鮮人以外にはいません。朝鮮人は戦争を始めた(正しくは国を維持して行くために致し方なくせざるを得なくなったのであり、昭和天皇の真に望まれたことではなかった-これは昭和天皇が開戦の詔勅でそのように述べています)日本は分断されていないのに、日本の領土であっただけの朝鮮が分断されてしまったことに怒りをもっているから、日本人を恨んでいるのです。日本が分断されていたら、今頃はざまーみろと笑っていても、日本人を憎む人はなかったでしょう。これは余談です。




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