信仰生活の道筋

信仰生活の道筋

信仰生活を続けていると、今の自分の居場所が分からなくなったり、先が見えなくなったりして不安になることがあります。実践しているうちに道筋ができ先へ先へと進めるとよいのですが、私などは道筋が分からなくなり迷ってばかりしています。そこで、五井先生のみ教えを振り返って信仰生活の道筋について考えてみることにしました。

五井先生を信じて「世界平和の祈り」を称える

五井先生のみ教えに感動して「世界平和の祈り」を称えることから信仰生活は始まります。五井先生を信じること、そして「世界平和の祈り」を称えることについて、このように仰っています。

「五井先生」といえば神様につながる。つながれば必ず悪いところへはいかない。五井先生というのは、南無阿弥陀仏と同じですね。だから、それだけでもって救われるわけです。」「五井昌久講話集2」p9

「五井昌久という人が現れて、さあ私のことを思いなさい、そうすれば、あなたは救われるんです。五井先生と思いなさい。そうすれば、あなたは神界の本当の住居に行くわけです。」
「五井昌久講話集3」p41

「だから私にあって、私の教えがいいという自覚が出来た時は、もう救われているのです。」
「五井昌久講話集5」p160

世界平和の祈りを一言でも唱える気持になったということは、その人の運命は変わったことです。どの様に変わったかというと、闇の世界から光の世界に入ったわけです。「魂が大きく開く時」p224

五井先生を信じれば、救われると繰り返し仰っています。五井先生の慈悲により必ず救われることを想いましょう。また「世界平和の祈り」を一言でも唱える気持ちになった人は、光の世界に入ったことなんだと仰っています。光の世界に入ったとは救いの世界に入ったということだと思います。救いの世界に入るとは、どのような状態を言うのでしょうか。

世界平和の船

五井先生は法話のテープの中で次のように仰っています。

「世界平和の祈りをしている人は、世界平和の船に乗ったようなものです。私と一緒に乗って、優雅ですなーといっていれば、何もしなくっても上げてもらえるのです。」 
法話テープ「愛なる神々」

世界平和の船のことを天国(神界)行きの列車というようにも言われています。つまり、五井先生を信じて「世界平和の祈り」を称えている人は、天国行きの船に乗ったことであり、五井先生と伴に天国に往くことが出来るのです。それだけではありません。五井先生の短歌に次のような歌があります。

必ず幸せになれる

己が幸 願う想いも 朝夕の 世界平和の 祈り言の中

これは、世界平和の祈りを常に称えていれば必ず幸福になれますよという意味です。また次のようにも仰っています。

「他の祈りはなんにもいらないから、『世界人類が平和でありますように』とやっていますと
自分の個人的な願い事もその中で叶えられるのです」
「五井昌久講話集2」 p112

つまり、五井先生の信じて「世界平和の祈り」を称えている人はこの世で必ず幸福になれるという五井先生のお約束です。五井先生を信じて「世界平和の祈り」を称えている人は、この世では必ず幸福になり、あの世では天国(神界)に往くことができることが約束されているわけです。これが福音でなくて何でしょうか。五井先生は、別に負担になるような修行を求めておられるわけではありません。五井先生を信じて「世界平和の祈り」を気楽に称えていれば、このような大きな恩恵にあずかることが出来ることを保証しておられるわけです。本当に有難いことであると思います。

感謝の祈り

このように、五井先生を信じて「世界平和の祈り」を称えていれば、大きな救いを受け取ることができます。それを約束されている五井先生の御心に感謝の想いが湧いてきます。
「五井先生有難うございます」という祈りが自然に湧いてくるはずです。

業想念の浄化と霊性の開発

自分が救われるだけではなく、すべての人が救われるように「世界平和の祈り」を称えましょう。「世界平和の祈り」は、業想念を浄める大きな作用があります。五井先生と救世の神々との間の約束で、「世界平和の祈り」をするところに、救世の神々が働いて、個人や人類の業想念を大きく浄めて下さいます。力まず気長に、五井先生御心に感謝して、「世界平和の祈り」を常に称えていればよいのです。このような感謝と祈りの生活をしていれば、自ずと業想念は浄められて、自らの境遇も改善されていきます。そして五井先生と同じような神我一体の境地に導かれていくでしょう。霊性の開発は全生涯の信仰生活をかけて行うことで、決して短気になってはいけません。

感謝行と祈り

初心にもどり、五井先生の慈悲により救われていることをいつも想いましょう。これは本当に想像をこえるような恩恵です。そのような五井先生のご恩に報いるような気持ちで、すべての人々を救う「世界平和の祈り」を称えましょう。これは、義務でも勤めでもありません。救いを下さった五井先生へのせめてものご恩返しだと思います。五井先生はそのように語っておられます。

五井先生の慈悲により救われていることを想いましょう

五井先生有難うございます

そして、すべての人が救われることを祈りましょう

世界人類が平和でありますように


業深き 己を捨てて 御仏の 尊き願に 救ひありけり

自らの 功徳を捨てて 御仏の 慈悲の中にぞ 救ひありける

煩悩の 雲厚けれど 畏くも 救ひ下さる 方ぞ嬉しき

御仏の 願を信じる 真心は 菩薩の心 仏の心



マスネ  タイスの瞑想曲」♪♪

ヴァイオリン 奥村 愛


                                                         ヴィオレット・エーマン         ルドン

                                  



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