質問ありませんか?(2)

神と人間にも書いていますが、守護霊守護神が守っているんだけれども、あくまで肉体人間が主体であって、守護の神霊は後から応援するのだと書いてありますネ。p114

全託とかお任せとかいうけれど、本当の全託になる為には大変な努力、精進がいるのです。真剣なる修行があるのですよ。p115

自分が形でないということが自覚できた時に、初めて自分のうちに神様があることが自覚できるのです。・・・形の世界を考えれば、やっぱり素直に神様ありがとうございます。守護霊様、守護神様ありがとうございますと思った方が素直でいいと思います。p117

この世のあらゆる出来事、自分の想い、人の想い、そういうものに捉われなさんな。しかし、捉われなさんな、というと捉われてしまうのが人間のくせだから、捉われるのも仕方がない。捉われたら捉われたでいいから、その捉われた想いを消えてゆく姿として、世界平和の祈りの世界に入れていまいなさい。p120

宇宙法則というのは根本は大調和ということです。調和に向かって進むことは宇宙法則にのったことです。怒りの心でぶつかっていく、相手を怨む、相手を憎む、或いは嫉妬する。そういうものは、自分がいかに正しくても宇宙法則に外れているのです。p123

あまりきれいごとで、間違ったことを一切しない、私は真直ぐ生きます、ではこの社会は生きられません。自分や自分の家族が常に苦しんでしまう。俗化しながらでも、出来るだけは正しい道をゆく。出来ないことは仕方がない。守護霊守護神様にお願いしつつ、祈りでもって浄めてゆく。そうしないと生きて行けませんね。p135

自分のものだと惜しがっているからいけない。私のものなど一つもありません。みんな神様からもらったものです。カイザーのものはカイザーに返せ、神のものは神に返せとイエスも言っているでしょう。生命は始め神様のものだったんだから、神様に返してごらんなさい。そうするとパーっと変わります。p140

少しでも神様のお役に立つように、神様にお返しするように、神様にご恩返しするようにすれば、必ずよくなります。それは私がやったんだからね。それが出来た。そして性格も変わりました。自由自在になった。p140

人間は神によって生かされているんだということを知れば、戦争もなくなるし、飢餓もなくなるし、転変地変もなくなるんです。しかし神様の心を忘れているわけです。そこで、戦争も飢餓も天災もあるわけです。p143

神様の光が祈りをした人の体を通して、世界人類に広がって世界人類を浄めるんだから、一人でも多く祈れば、一日も早く平和になるんだといういう教えを説いているのです。p143

せっかく、縁があって近くにいる人をないがしろにして、遠くばかりやっていることは、神様の御心ではありません。やはり自分の身の周りをやることが必要なんです。身の周りをよくしながら、しかも人のために尽くせる。法施といって、法、道を施す、世界平和の祈りの教えをみんなに知らせることが、自分もよくなりつつ、別に大した資本もかからす、労力もかからなくて、人もためにもなる。p146

自分をなくすためにどうしたらいいかといったら、一所懸命すべては消えてゆく姿なんだ。自分も人もないんだ。すべては神のみ心が現れているんだという風に、ひろいひろい心になる。p150


人間の世界というものは、やがて誰も彼でもがみんな神の子の姿を現し、みんな仏の姿を現す時が来るわけです。その時が地上天国なんです。そうなるまで、やっぱり自分たちで努力してゆかなければならない。p150

宗教をやっている人というのは、寛容でゆるしの心が多いし、とても穏やかな人と思うでしょう。ところがある面では広い心になるんですけど、教えなら教えにとらわれると、狭い心になってしまうんです。自分の道というものを決めてしまいますと、その道に叶わない者は、みんなバカにみえちゃったり、だめに見えたりするんです。p150

人間は肉体としては凡夫だから、凡夫でいいんだけど、凡夫の自分というものが分かりますと、凡夫の自分、肉体の自分では何事もなし得ないんだから、神様のみ心に従って、神様のみ心の中に入り、自分の天命を完うしてゆこうという気持になります。そして神のみ心の中に入ることを行じていますと、いつもまにか凡夫の自分がなくなって、菩薩の自分、神の子の自分がそこに現れてくるのです。p157

この世に生まれたからには、必ず天命があるんだということを信じて、一所懸命人事を尽くさなければいけない。そうすると、何処からどういう天命が生まれてくるか分かりません。p158

あまり自分をいじめない、自分を責め裁かないで、人も責め裁かない、常に明るく人のために尽くしていられるような人は、いい人と言えるんです。「質問ありませんか?」p160


一つの偶像一つの教えに把われていては、自由自在になれないという意味ですね。それはどういうことかというと、どんないい教えでも、こうしなければならないとそれにしがみついていると、人間がとても狭くなって、他のことが容れられなくなっちゃうんです。
他との融合が出来なくなっちゃう。p161

自分が立派になるには、なんの誰某として赤ちゃんの時から何歳まで生きてきた、その自分という者を捨てなければだめなんんです。肉体世界に生存して、肉体生活のいろんな習慣をつけている自分というものがそのままいたんでは、偉くなっても大したことはないのです。だから自分という者を一遍捨てないと、どうしても本当の本当の自分が救われない。p162

自分というものをパーッと裸で捨ててしまって、天のみ心だけで生きるということが大事です。ところがそれがなかなか出来ませんでしょう。そこで何か出てきたときには、ああ消えてゆく姿だなあ、ああこれで少し本心が現れたんだ、ああ消えてゆく姿だナ、とやっているうちに、スーッと本心が開いてしまう。それを教えているわけです。p163

肉体の自分に把われてもいいけれど、この肉体はすべて神様から頂いているとか、預かっているとか、受け身の形になっていれば、感謝はいつも出てくるし、自分が偉いなんて思わないです。そういう生き方をするのが、本当の宗教者の生き方です。p167

いつも想いは世界平和の祈りの中に入っている。人類愛の中に入っている。すると自分だけをわざわざ空になってなくそうとしなくても、自分に把われている想いがだんだん少なくなって来るんです。想いがいつも小さな自分の中に入らないで、大きな広い人類の中に入ってゆくのです。入ってゆくとそれだけ自分がなくなってゆくわけです。p169

この肉体界にいる限りは、どこかしらに欠点があるに相違ない。神さまは百パーセント理想的な立派な人間になれとは言わないんですよ。欠点はあるけれど、私は一生懸命やっています。欠点を直すように反省し自分が立派になるように一所懸命精進しています。そうやって裸でみせればいいんですよ。そうすれば「愛い(ウイ)やつじゃ、汝神の愛し子よ」と神さまが引き上げてくれます。偉そうに、出来ないことも出来るように、自分をごまかしたり、隠したりしていると、バシャッとやられますよ。p170

この世で魂がすっかりきれいになると、あの世に行ったときは素晴らしい高い処へ行くんです。これは昔からのいい伝えで、本当のことなのです。だからこの世において如何に命を洗濯してゆくか、生命がいきいきと働けるようにするか、過去生の業を浄めておくことが大事なんです。p172

どんなことが現れてきても、ああこれは過去生の因縁が消えたんだな、これによって私の運命はよくなるんだな、私の魂はますます磨かれたんだなというふうに感謝に変えてゆくわけですね。そうするとどんどん魂は開いてきます。p172

この肉体界というのは、業をとるために非常にいい場所なんです。肉体界で如何に苦しみがあろうと、一瞬過ぎれば、時間がたてば忘れられる。それからうんと痛い場合は気絶してしまう。そのようにフッと助かる抜け道があるわけです。p173

幽界の生物で、幽界でゴソゴソしているのはいつまでたっても消えにくい。だから肉体人間に生まれたことは得難いことだ、人身得難し、といってその有り難さを感じて、少しぐらい不幸や嫌なことがあっても、ああこれは消えてゆく姿だな、これによって私は天命が完うされてゆく、私の本心は開いてゆくんだな、私の行く霊界はいいんだな、というふうに思って感謝して下さい。p147

肉体人間だけではこの地球は存続しません。人間は完全円満、神の子にならない。それが、守護霊守護神と一つになると、立派な神の子を現すことが出来るわけです。だから、自分で出来ないことは、守護霊守護神様お願いしますと任せていいわけです。p184

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