全ての人の救われ

全ての人が救われる宗教には、主にキリスト教と阿弥陀信仰があります。

キリスト教の罪の償い
キリスト教では、主イエスを信じる者は全てすくわれます。行いがなくとも、主イエスを信じるだけで救われます。何故かというと、キリストが十字架にかかり、人間の罪の全てを背負って下さったからです。どんな大きな罪を犯しても、キリストが十字架で、その人の罪を背負って下さる為に、罪は浄められてしまうからです。罪が消えるときには、必ず不幸や病気や事故のような苦しみを伴って消えてゆきます。ですから、誰かがその罪の痛みを背負わなければいけません。信仰がなければ、その人自身が背負わなければいけません。しかし、大きな罪を背負うと大変な痛みになります。

普通の凡人は、他人の罪を背負うことは出来ません。キリストの様に神通力自在になり、全ての霊格が開いた神の化身のような人で無いと、人の罪を背負うことは出来ません。キリストを信じる人は、どんな大きな罪を犯した人でも罪が赦されます。キリストが全ての罪を背負ってくれるからです。

ですから、パウロは義人は信仰によりて歩むと言っております。キリストを救世主と信じる信仰がなければ、自力だけでは自分の罪を全て背負うことはできません。自力だけで罪を消そうとするなら、大きな罪を犯した人は、地獄にいって苦しまなければ、罪の償いは出来ません。

ですから、キリストを信じる人は、全ての罪を赦されて、天国にゆくことが出来ます。

仏教の罪業の償い
人間は何回も生まれ変わり、修業をして霊格を磨いていきます。しかし、普通の人間は、何回生まれ変わっても、ほんの少しの成長があるだけで、そんなに大きな進歩はありません。場合によっては、悪い行為(カルマ)を増やしていき、大きな争いをしなければいけないようなカルマを積んでしまうこともあります。ですから、仏教でいう菩薩や仏になる人は、魂の年齢が長く、大変な苦労をして大悟しています。お釈迦様、阿弥陀様、観音様、御大師様(弘法大師空海)は、想像を絶するような苦行をして仏になった人たちです。彼らも、この大宇宙を創造した唯一絶対神の化身でもあります。阿弥陀様を初めとして、信じて名号を唱えるのみで、キリストと同じように人間の罪業を背負って下さり、天国浄土に連れて行って下さいます。

五井先生の救済
五井先生も守護神の命により、普通の人ではとても困難な修行をして、お釈迦様とキリストと神界で合体して、神通力自在の聖者になりました。無償で難病を治し多くの人を救いました。また、経済的に困窮した人を助け、命を救っておられます。キリストと同じように神通力自在になると人の罪業を背負うことが出来るようになり、五井先生も、信じる人の全ての罪業を引き受けることを宣言されています。しかし、人類の多くの人の罪業を背負った為、7年間痛みに耐え、大変なご苦労をされて、帰天されました。

「あなたを救ってあげますよ」という言葉、「大丈夫、私が引き受けました」という言葉は
大変な言葉なのです。これをうかうかと聞かないで下さいよ。私が救ってあげますよ、
と言う時には法蔵菩薩(阿弥陀仏)と同じなのですよ。自分を投げ出しているのです。
もし違約すれば私が苦しむんですよ。救ってあげますと言って救えなかったら、私は
いつまでたったって悟れないことになりますよ。それは三人や五人じゃない、百人にも
千人にも万人にも、私が救ってあげますよ、と言うときには、皆さんの業を全部ひっかぶった
ことなのです
。何百何千何万何十万という業を全部ひっかぶったことなのですよ。
「私に荷物を預けなさい」p38

救世主はキリストだけではない
人の罪業を背負うことが出来るのは、キリストだけではありません。阿弥陀様も五井先生も、信者の罪業を背負って、多くの人々を救い、天国浄土に連れて行って下さります。つまり、キリストだけではなく、阿弥陀様も五井先生も人類を救う救世主です。救世主を信じれば、全ての人は救われます。

これから、キリスト(イエス様)と新約時代に大活躍をした使徒パウロの教えを簡単に説明します。阿弥陀信仰では、親鸞と一遍を取り上げて、具体的な説明をします。そして最後に、キリスト教徒とか仏教とかの宗派を超えて救いを説いた、五井先生について簡単に述べることにします。




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