消えてゆく姿と救われの世界
み仏の慈悲親鸞上人は「歎異抄」のなかで次のように述べておられます。
「煩悩具足の我らは、いずれの行にても生死(煩悩)を離るることあるべからざるを憐れみ給ひて、
願をおこし給う本意、悪人(業が深くみ仏にすがるしか救いの道がないと思っている者)成仏のためならば、
他力を頼み奉る悪人は、もとも往生の正因なり。
「み仏は、人間の業が深ければ深いほど憐れんで下さる。そのような業が深くて煩悩から離れられない人間のためにこそ、み仏の慈悲があるんだ。だから、み仏にすがれば、どんな業があっても、差別なく救われるんだ。」と親鸞は説いています。み仏の慈悲がいかに深いかがよく理解できます。
神の慈愛
五井先生も、同じように神の慈愛について述べられています。
「私は神の愛を、私の肉体を通して、優しく分かりやすく、人間世界に伝えようとしている者であります。
神は愛なのです。神は慈愛なのです。人間を救おう救おうとなさっていて、決して罰しようとは思って
いらっしゃらないのです。それを誤った人が神の罰を説いたり、心の欠陥ばかりを責め裁いたりして
宗教を求める善人を、狭い窮屈な善人にしてしまい、気の強い人をして、宗教の門、神の門から
閉め出してしまっているのです。」
「神様は愛なんだから、あなた方は絶対に救われているのだ。あなた方が悪いんじゃないんだ。悪いものなんかありはしないんだ。この世の中は、善も悪もないんだ。皆この形の世に現れてくるものは、消えていゆく姿なんだ。全部消えてしまうと、本当の地上天国がここに出来るんだよ。」
「宗教の極意というものは、おまえの心を直せ、おまえの我が儘を直せという風に教えるもんじゃなくて
神様は愛なんだから、神様にすがりさえすればいいんだ、と教えるんです」
「自分が悪いから神様に救ってもらえない、と思ったら間違えです。
その間違った想いがあるままで妬みの想いがあるままで、恨みの
あるままで救ってもらえるんです。それでなかったら、本当の信仰に
なりません。」
「神様は人間を救おう救おうとなさってます。だから、どんな業や煩悩があっても、神様にすがれば、絶対に救ってもらえます。それほど神様の愛は深いのですよ。」と五井先生は説いておられます。
では、なぜ神仏は、どんな業や煩悩があっても救って下さるのでしょうか。
それは、神仏(五井先生や主イエス)が、人間のすべての業を背負い浄めて下さるからです。五井先生も、そのことについて次のように述べておられます。
「あなたを救ってあげますよ」という言葉、「大丈夫、私が引き受けました」という言葉は
大変な言葉なのです。これをうかうかと聞かないで下さいよ。私が救ってあげますよ、
と言う時には宝蔵菩薩(阿弥陀仏)と同じなのですよ。自分を投げ出しているのです。もし違約すれば
私が苦しむんですよ。救ってあげますと言って救えなかったら、私はいつまでたったって悟れないことに
なりますよ。それは三人や五人じゃない、百人にも千人にも万人にも、私が救ってあげますよ、
と言うときには、皆さんの業を全部ひっかぶったことなのです。何百何千何万十万という業を
全部ひっかぶったことなのですよ。それはなにかというと、皆さんの後の守護霊守護神が引き受けた
、ということと同じなのです。ということは、救世の大光明が、神様自体が、ハイお前たちを無罪放免する、
ということと同じことなのです。
五井先生にすがれば救われるということは、人間にはどうにもならない業や煩悩を五井先生がかぶり消して下さるかるからです。
ですから、五井先生(神仏)にすがり、想い、信じている人は、どんなに業が深くても、すべて救われているのです。
苦悩は過去形
病苦、経済的な苦境、人間関係の悩みは、境遇や体調の悪化から来ます。これらの苦しみは、過去世からの(人類の)業の波がかかって来ているのです。つまり過去の業が反映して来ているわけです。ですから、今現在の自分の心とは無関係です。このような過去世の業が反映してくることを「消えてゆく姿」と言います。なぜなら、業は実体ではなく、必ず消えてしまうからです。太陽の周りの雲のようなものだからです。
「消えてゆく姿」として苦しみが来ても、それは過去世の業の波を受けているだけで、今の自分の心とは全く関係ありません。「消えてゆく姿」は過去形の反映であり、現在進行形の自分の心ではありません。大切なことは、過去の反映としての「消えてゆく姿」ではなく、今現在の心です。今現在何を想い、どんな行動をしているかで、人間の価値が決まります。
救われの世界
今現在、五井先生を信じ、「世界平和の祈り」を称えている人はすべて救われています。
「業があるだけでかまわないんだから、喜怒哀楽があるままでも、世界平和の祈りさえしていれば、ちゃんと菩薩様の所へ帰れるんだよ」とやさしく教えているんですよ。ですから、みんな世界平和の祈りと五井先生さえ思っていればいいんです。そうすれば、死んだ世界では必ずいいところへ行きます。「自由解脱への道」P.55
どんなに業が深くても、五井先生を信じ、「世界平和の祈り」をしているのですから救われています。死後の世界も保証されています。
たとえ、病気や人間関係などで悩んでいても、それを「消えてゆく姿」と認識した時、それは過去形の産物になってしまいます。そして、今現在、五井先生を信じて、「世界平和の祈り」をしていれば、救われているのです。
どんなに業が深くても、どんな煩悩があっても、あるがままで救われているのです。
「自分が悪いから神様に救ってもらえない、と思ったら間違えです。
その間違った想いがあるままで妬みの想いがあるままで、恨みの
あるままで救ってもらえるんです。それでなかったら、本当の信仰に
なりません。」
五井先生を信じ、「世界平和の祈り」をしている人は、現在進行形として、救われの世界にいるのです。病気で苦しんでいても、生活に追われていても、またどんな煩悩に悩んでいても、それらはすべて「消えてゆく姿」であり、守護の神霊、五井先生が身代わりになってすべて消して下さるのです。「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を行じている人は、救われの世界にいて、五井先生を通して天につながっており、天国の民なのです。五井先生は「天と地をつなぐ者」だからです。
「神様を思っている方は、本当は神様の国に住んでいるんです。神様を思わない人は
神様の国に住めません。」
「五井先生、と思いなさい。そうすれば神界の本当の住居に行くわけです。」
救世主 五井先生を 信ずれば あるがままにて 救いの世界
B.G.M.
モーツアルト 聖歌「いと喜ばしき宴」
ソプラノ エリー・アメリンク
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