耐えるとは

病苦や経済苦など、苦しみが長く続く場合、如何にして生き抜いて行くかが問題になる。苦しみは「消えてゆく姿」であるが、このような慢性的な痛みは、消えてゆくように見えない。ただ耐えるしかないのか?

「病気、不幸、すべて悪い事態が起こっても、すべてはよい方向に進んでいるのだ、と絶対に想えるように
ならなければなりません」

苦悩の8割は、心理的なものといわれる。苦悩のとらえかたで、受ける印象は違ってくるはずである。病気、不幸、悪い事態は、すべて消えてゆく姿に相違ない。苦悩の受け止め方で痛みは違って来るはずである。消えてゆくに従い、自分は浄められている。この試練を乗り越えれば、自分が大きく成長するはずである。そのように、守護霊さんの善なる導きを信じるべきだろう。

神仏を信じている人にとっては、悪くなるということはありえない。もはや、運命ではなく、常に最善に動く摂理があるだけである。すべては神のみ手にあり、すべては善くなるように動いてゆくのである。一見悪そうに見えても、大きな目で見ると、善き方向に向かっているである。だから、「すべてはよい方向に進んでいると、絶対に思えるようにならなければいけない。」そして、終着地は神の国(天国浄土)である。また、この世でも幸せになれることを、五井先生は約束しておられる。

「いかなる困難な事態がその人の前に起ころうと、守護霊の守りを信じうる人は、必ず、その事態は光明に転じます。」

この世においても、自分が救われるのであり、同時に人類全体の完全平和に寄与している祈りが世界平和の祈りなのです」

このように信の一字で楽天的に生きることだと思う。



痛んだ時、嫌だと思うからよけい苦しくなる。この世界で起こることは、天の摂理なのだ。すべて必然性をもっている。

「この世界は、諸神善霊によって守護されつつ、真実の肉体人間の完成の道を、突き進んでいるものであることを知った時の喜びは、筆舌には尽くし得ないものでありました」

つまり、今のこの出来事は、常に最善なのだ。宇宙の法則に則っている。だから、ありのままに、これでよいのだと客観的に冷静に受け止め、痛みから逃げないことだ。正面から冷静に受け取って、感情的にならないことである。感情的になるから、よけいに痛みが増幅する。自分で荷物を重くしてはいけない。

み仏の 救ひの船に 乗りたれば いかなる苦をも 受け止めゆかん 



B.G.M

At Basin Street     CLIFFORD BROWN



  

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