宇宙と人間の真理

五井昌久先生



第一章人類の誕生から堕落まで

宇宙の発生
唯一絶対神がましまし、この大宇宙を創造した。それは、現在の科学でビッグ・バーンといわれている。無数の光る星々(太陽のような恒星)とその周囲を回る惑星から主になっている。そして、恒星は銀河系星雲、アンドロメダ星雲というように集合的に存在する。各星雲には無数の恒星と惑星があり、その星雲も無数に存在しているといわれている。

生物の誕生
神は、現在の地球のように水があり、温度が適度な惑星に、植物を造り動物を創造した。植物と動物は神の被造物である。動物の最後に猿人が造られ、さらに猿人が進化して原人が造られたが、現在の人間ではなく、動物の最後に造られた猿人である。彼らは滅んでしまった。

人間の誕生
現在の人間は、ホモ・サピエンス(知的人類)と呼ばれ、神が己の命(霊)から分けてつくられた。したがって、神道では人間のことを分霊(わけみたま)と呼んでいる。例えていえば、神は巨大な炎であり、人間は巨大な炎から聖火のように分化された炎であるといえる。だから神は大霊であり人間は小霊とも呼ばれる。

人間は神の子
人間の命は神から分かれてきたもので、神が別に創造したモノではない。大霊から分かれてきた小霊であり神の子ということが出来る。例えていえば、神は大樹であり根元から大きな幹である。人間は枝分かれした葉っぱの一つひとつである。そして大きな幹と葉っぱは一つにつながっている。

だから、人間は動植物と異なっていて、物を生み出すことが出来る。人間には創造力がある。神もまた大宇宙を創造した偉大な創造者である。人間は神の子であり、神は父なる神である。

古代の人間
最古の古代の人間は神の子として、神と一体であった。神の愛と誠が、そのまま、人間の愛と誠であった。神は人間に十分な食料を与え、必要な妻を与え、争いも戦争も存在しなかった。各地の神話にも、神から生まれたばかりの人間が幸福であった神話が残されている。

エデンの園
一番有名なのは旧約聖書に出てくるエデンの園である。神から創造されたアダムとイブは互いに愛し合い、気候も温暖であり服を身に着ける必要がないほどだった。食料は色々な実のなる木から摂って食べ不足することはなかった。しかし、神から食べてはいけないと言われている知恵の実を食べてしまい、神の御心に反する行為をして、楽園から追放されてしまった。

古代ローマの金銅鉄の時代
古代ローマでは最古の古代は法令がなくても真実と正義が守られていた。作物も豊富で飢えることもなかった。
青銅の時代になり武器が使われたが大したことはおこらなかった。しかし、鉄の時代になると争いが各地で起こり鉄器を武器にして戦争が起こったと神話作家オヴィディウスは語っている。

中国の超古代の名君
中国の古代には夏という国があったといわれている。その夏の前にも国があり堯(ギョウ)とか舜という名君により理想的な政治が行われていた。その後中国は春秋戦国時代になり政治は乱れてしまった。孔子は堯や舜の政治を模範にした。

自己中心的意識の芽生えと神との一体感の消失
古代の初期には人間と神が一体だでしたが、人間には肉体があり、肉体を維持するのに食欲と自己保存本能がありました。また、種族の維持の為には性欲があり、特に男は子供を多く産むために、出来るだけ多く女性と交わる性本能がありました。本能は人類を維持していくために必要なものです。しかし、自己保存本能は自己中心的な意識に変わってゆき、神との一体感は次第に消えてしまいます。

自己中心的な人間の対立の始まり
神との一体感がなくなり、自己中心的な考えが当たり前になっていき、神の恩恵を受けられなくなると、食料や自己の財産を増やすために、人間同士が盛んに争うようになります。時には武器を持って戦争になることもありまた。

人の心の変化
人間が自己中心的になり、神の御心を忘れてしまうと、神の恩恵を失ってしまい、食料や領地のことで争いが絶えなくなります。人の心も貪欲、嫉み、憎しみ、高慢、怠慢といった想念が心を占めてきます。

カルマ
カルマとはインドの古い言葉で行為といったような意味ですが、ただ人間の行動だけでなく、人間の心の動きも含まれます。神の御心を表す愛、誠、正義、思いやり、勤勉、感謝などの想念は良いカルマですが、反対に神の御心に反する貪欲、嫉み、憎しみ、高慢、怠慢と言ったような想念は悪しきカルマとして見なされます。

行動ははっきり見えますから善し悪しはすぐ分かりますが、心の中の心情はなかなか分かりませんが、行動だけでなく想念の動きもカルマとして、人間の深層心理に全て記録されます。

生まれ変わり(輪廻転生)
人間は一度だけの人生だけではなく、繰り返し生まれ変わり修業を積んでいきます。神は人を一度だけの人生で判断されることはありません。繰り返し生まれ変わって、その魂の進歩する状況を望まれています。そして、生まれ変わって複数の人生を体験しますが、それらの全ての人生のカルマは深層心理に記録されていきます。

因果応報
記録された良いカルマは良い結果をもたらします。逆に悪いカルマは悪い結果をもたらします。例えば何の悪いことをしていない善良な人でも病気にかかり苦労することがあります。これは、過去生の悪いカルマが出てきているわけです。

また、大した人格者でもないのにキレイな奥さんを貰ったり、お金に恵まれる人がいます。これも過去生の良いカルマが反映しています。しかし、その様に一見恵まれた様に思われる人も精進を怠っていると、一転して会社が倒産などして不幸に見舞われるようなこともあります。

神は全ての人に平等
ある人は裕福な家庭に生まれて、よい教育を受け、よい会社に就職して、お金に不自由しない人もあります。ある人は貧しい家庭に生まれて、十分な教育も受けられず、職業も定まらず常にお金に不自由している人もいます。

神様は不公平ではないかと思う人がいますが、裕福な家庭に生まれてくるのは、過去生からの良いカルマの結果でしかありません。貧しい家庭に生まれて苦労するのも、やはり過去生からの悪しきカルマの結果に過ぎません。神様は一切不公平なことはなさいません。その人のカルマが生まれ変わったときに現れているに過ぎないわけです。

貧しい家庭に生まれても、常に努力精進して、何かの機会にその人の人格と修練が認められて、中小企業でも重要な役職を占めて、社長にまで出世して、実業家として大きく成長する人もいるので、長い目で見ないと、どちらか幸せかは簡単には分かりません。

神は全ての民族に平等
神様は地球上に多くの民族をつくり、それぞれの民族が協力して、素晴らしい文明文化をつくることを望まれていました。しかし、後になると民族の領土の利害が衝突して、民族紛争が生じて戦争になることも出てきました。その場合でも神様は一切平等であり、ある民族だけをえこひいきすることは決してありません。民族にも大きなカルマがあるので、そのカルマにしたがって結果が出ているに過ぎません。

正義を愛する神
五井昌久先生は「この世は人間や国家の野望により動いているように見えるが、実は神の経綸の通りに動いている」と仰っています。これはどういうことかというと、この世を見ると力があり卑怯なことをしている人や国が栄えているように思いがちだが、神は正義を愛しており、長い目で見ると、そのような卑怯な人や国は衰退してゆき、正しいことをして、社会や国際社会に貢献している人や国が生き残っていくんだという意味になります。神の御心に反した人や国は長い目で見ると滅びる運命にあるというこです。

神は全ての宗教に平等
またそれぞれの民族にはそれぞれの宗教が発達しました。神様はどのような民族宗教にも平等です。特定の宗教の肩をもつようなことはされません。また後になると広い地域に共通した大きな宗教が生まれてきました。ヨーロッパにはキリスト教、砂漠地帯にはイスラム教、アジアの東の地域には仏教が栄えるようになります。それぞれ特徴がありますが、神様はそれらの宗教にも平等で、ある特定の宗教だけを支持したりすることはありません。

五井昌久先生は、沢山ある宗教に対して「一宗一派一教団などはなから問題にしていない」と仰って、全ての宗教を超えた普遍的な真理を説かれました。五井先生には一切宗教的な偏見はありませんでした。



第二章「それでは、神の御心から離れてしまった人間はどうしたら、神のみもとに戻れるのでしょうか?」

業想念
人間の深層心理には、何度も生まれ変わり良いカルマと悪しきカルマとが記録されています。悪しきカルマから湧き上がってくる貪欲、嫉み、憎しみ、高慢といったような感情は意外にひつこく、人間の心を占めてしまいがちになります。このような感情想念を五井昌久先生は「業(カルマ)想念」と呼んでいます。

本心
人間は神から分かれてきた存在ですから深層心理よりももっと深いところには神の子の意識が存在しています。それは良心として心に現れて来ます。それは愛と誠、思いやり、親切、寛大、正義、人を赦(ゆる)す心といった意識です。実はこの意識こそ神から分かれてきたときの意識で、これが本来神の子である本当の人間の意識です。このような意識を五井昌久先生は「本心」と呼んでおられます。

業想念と本心
ですから、人間の心をよく観察すると、良心として聞こえてくる本心と、悪しきカルマから湧いてくる業想念の二つがあることに気づきます。

人間の心は、この二つの心のどちらかが強く表れます。良心的な本心も現れますが、それは一時的で、人と接して仕事をしたりしていると、どうしても業想念の方が多くなってしまいます。人間は衣食住を満たすにはお金がいりますが、お金を儲けようと思うとどうしても自己中心の欲望が強くなり、時には貪欲にもなり、物持ちに対して嫉みが生じて来ることもあります。

人間の本当の姿は本心(良心)だけが現れた姿です。ですから諸々の欲を捨ててしまえば本心が現れるのですが、生活をしていくためにはお金を儲けなければいけないので、実際的には業想念の方が強い場合が多くあります。

自己中心的な欲望を抑えるのは困難である
五井昌久先生は理想ばかり述べて、現実を無視するようなことはなさりませんでした。

自己中心的になり、自分の欲望を追求することばかりを考えている人間が、良心的になり世のため人の為に尽くしてみても、地球上では人間の欲望が渦巻いており、その渦の中に巻き込まれて、とても自己中心的な欲望を乗り越えることは出来ないと仰っています。自分だけの力では自己中心的な欲望を抑えることは出来ないとも仰っています。

守護神守護霊
そこで、唯一絶対神は、宇宙を造り治めるだけではなく、宇宙で活躍する人類を助ける為に、守護神守護霊を神から分けて、人間一人ひとりに派遣しました。そのため、人間は守護神守護霊という力強い味方を得て、様々な面で守護神守護神の助けを得られるようになりました。

守護霊
守護霊は人間の真上にいて、人間をよりよく導いてくれます。守護霊に常に祈っていると業想念が知らず知らずのうちに弱くなっていき、本心の良心の声の方が強くなり、人間本来の神の子の姿を現しやすくなります。また、大難を小難にして、小難を無難にして下さります。人間には全ての人に守護霊がついているので、小さい頃から病気や事故をまぬがれて、長生きすることが出来るわけです。

守護神
守護神は、人間と唯一絶対神との間に立って、人間を神のみもとに連れて行って下さいます。キリストも聖母マリアも阿弥陀様も観音様も御大師様も、そして五井昌久先生も、みんな大守護神で、キリストや阿弥陀様、五井昌久先生を信じることで、唯一絶対神のみもとに戻ることが出来るようになります。

人間だけでは、唯一絶対神といっても高く遠くて近づきがたいのですが、キリストや阿弥陀様や五井昌久先生なら親しみを持ち信じることが出来ます。また、何か罪を犯したときには、キリストや五井先生に懺悔することで赦(ゆる)されて、神のみもとに戻ることが出来ます。神のみもとに戻ることが出来れば、死んだら神界に行くことが出来ます。

贖罪(罪の償い)
正覚を得て神通力自在になった霊覚者は人の罪業(罪とカルマ)を背負うことが出来るようになります。我々凡人には出来ないことですが、最も深い悟りに達した霊覚者はあらゆる人間の罪業を肩代わり出来るようになります。その罪がどんなに大きくても背負うことが出来るようになります。ただし、罪を背負う霊覚者も重荷を背負う痛みはありますが、その痛みに毅然と耐えることが出来ます。

ですから、キリストや阿弥陀様、五井昌久先生を信じて、何か罪を犯したときに懺悔すると、キリストや阿弥陀様、五井先生が罪を背負って下さいます。さらに、どんな大罪を犯した人でも神通力自在になった真のの霊覚者を信じて懺悔すれば、大罪を背負って貰えるので救われます。ただし霊覚者への信仰がなければ、その人の罪を背負うことは出来ません。信仰とはそれほど素晴らしいことなのです。

そして、死後はその人の信じる霊覚者の元へ往くことが出来ます。キリストや阿弥陀様、五井昌久先生は唯一絶対神の化身ですから、唯一絶対神のみまえにも参じることも出来るわけです。つまり神界にゆくことが可能になります。

人間の苦悩
地球上の人類には様々な苦悩がありますね。身近なものからいうと、ひつこい病気、会社のリストラや倒産、愛している人との別れ、あるいはハートナーがいない孤独感、事故、さらにグローバルに見ると、不景気や円高から来る会社や投資家の損失、そして、ISなどのテロ行為

悪しきカルマが崩れてくる
楽しいこともありますが、やはり嫌なことの方が多いですね。神様が造った世界にもかかわらず、何でこんなに嫌なことが多いのでしょう。神様は創造に失敗したのか?

実はそうではないのです。嫌なことの原因は、人間の深層心理の中に溜められた悪しきカルマが現れて来ているのです。この悪しきカルマは、人間が繰り返し生まれ変わるごとに深層心理に溜められているために、余り大きくなると、それが崩れて嫌な現象をもたらしてしまうのです。

因果応報
また因果応報の原理からも同じことがいえます。過去に悪いことをしたり、心の中で醜い思いを持ったりしていると、必ず何処かで嫌なこととして跳ね返ってきます。

人を傷つければ、必ず傷つけられる時が来ます。人を欺せば必ず欺される時が来ます。人を裏切れば必ず裏切られる時が来ます。これは科学的な原理と等しく必ず起こるのです。ですから嫌なこと不幸なことは、全て自分が原因を作っているのです。神様はむしろ苦しんでいる人を助けようとされています。

繰り返して生まれ変わり、良いことも悪しきことも、全て深層心理に溜められています。良いことは、幸福な現象として現れて来ますが、悪しきカルマは大きくたまると、それが崩れるように不幸災難をもたらします。

消えてゆく姿
深層心理の中に溜まっている悪しきカルマが大きくなると自然に崩れて、この世で不幸災難をもたらします。つまり不幸災難という姿をとって、悪しきカルマは消えてゆくわけです。この世の嫌なこと不都合なことの全ては、悪しきカルマが消えてゆく時に起こる姿です。これを五井昌久先生は「消えてゆく姿」と呼ばれました。

ですから、嫌なこと不都合なことが起こっているときには、悪しきカルマが消えていってるので、魂は浄化されているのです。確かに嫌なこと不都合なことはつらいことですが、よく魂を観察して見ると深層心理に溜まっている悪しきカルマが消えてゆき、魂は浄化されており、実は有り難いことなのです。昔から、つらいことがあると、神様の試練だと思って耐えてなさい。そうすれば、一段と成長できますよ、と言われてきたのは意味のあることだったわけです。

まさに、つらいこと嫌なこと、特に不幸災難があるときは悪しきカルマが大きく消えていっているので、魂は浄められています。ですから、これも仕方のないことと諦めて耐えていれば、今度は以前よりもよりよい人生を送ることが出来るようになります。

今の人類は繰り返し生まれ変わりして、人生修業をしてるわけですが、どの人にも過去生からの悪しきカルマが溜まっています。そのカルマが必ず崩れる時があります。その時、不幸災難に遭い苦労しますが、それを乗り越えてしまうと、一段と進歩した状況に到達出来るようになります。

ですから、嫌なことが起こると悪しきカルマ(業想念)の「消えてゆく姿」だと思って耐えていれば、必ずもっとよい状況に至ることが出来ます。

私も中学校の教員を20年間しましたが、様々な事情でひどいうつ病になってしまいました。毎日毎日生きるのが精一杯で明日のことを考えることさへ出来ませんでした。三年ほどは医者に行く以外は寝て暮らしていました。毎日朝から身体が硬直したり、胸苦しくなったり、イライラしたりして逃げ場所のないような苦しい体験をしました。

うつで退職すると妻子と別れてしまいましたが、その年は10月が来ると寒くなり、また日陰が多くなり、寒くて暗い10月を初めて体験しました。新聞もテレビも見ることが出来ませんでした。出来たのは英単語を見るくらいでした。

それから10年位たちましたが、親の遺産が入り、将来性があり安全な投資信託を運用して婚活も出来るようになりました。生活で特に不自由することはなくなりました。有り難いことだと父母と五井昌久先生に感謝しています。



第三章消えてゆく姿で世界平和の祈り

世界平和の祈り
五井先生は、人々を救う為に念仏で布教しようと思っておられました。五井先生の著書の「生きている念仏」で書かれていますが、五井先生の前世は親鸞上人とつながりが深いとお書きになっています。ところが、天から念仏ではなく「世界平和の祈り」でやりなさいという神示がありました。

「世界平和の祈り」は五井先生が提唱された祈りと言われていますが、元々は天から命令があり、天が五井先生に与えられた祈りです。世界平和の祈りは次のように五つの短い言葉からなっています。

世界平和の祈り
世界人類が平和でありますように
日本が平和でありますように
私たちの天命が完(まっと)うされますように
守護霊様ありがとうございます
守護神様ありがとうございます

中学生が聞いても分かるような易しい言葉からなっています。
これは、子供からお年寄りまで誰でも簡単に祈れるようにという天の配慮からなっています。

守護霊様守護神様ありがとうございますというのは、守護霊守護神のところで書きましたが、守護霊は全ての人の真上におられて、その人を一日24時間守って下さっている高級霊で、守護霊に日頃から感謝していると、その人と守護霊の関係が密接になって、その人が幸福になるように便宜を図って下さります。

守護神はそれよりももっと高い位置にましまし、キリストや阿弥陀様、五井先生の様に高い霊格つまり神格を持ち、人間の罪業を背負って下さる神様です。守護神を信じ感謝をしていると守護神はその人の罪業を背負いやすくなります。そして、最終的には人間の全ての罪業を背負って、神界まで連れて行って下さいます。これは大変有り難いことですから、「守護神様ありがとうございます」と常に祈るわけです。

救世の大光明
今まで天と書いてきましたが、もっと詳しく申し上げると、天とは「救世の大光明」のことで、地球人類を助けて、個人だけではなく、全ての人を助けようとして働いている神々をいいます。その数は多く、各宗派の神様、キリスト教ではキリスト、聖母マリア、仏教ではお釈迦様、阿弥陀様、観音様、御大師様、弥勒菩薩様などで、イスラム教では預言者のマホメットなど、中国では老子、孔子なども含まれます。五井先生は救世の大光明の中心的な役割を果たしています。

世界平和の祈りを捧げると五井先生を通して救世の大光明につながり、祈っている人が救われるだけではなく、その他の人類の業想念が大きく浄められます。ですから、世界平和の祈りをすれば、祈っている人がまず救われます。そして、世界平和の祈りをすればすればするほど、地球人類の業想念も浄められてゆき地球人類の救われも早くなっていきます。

五井先生は講話で、「あなたがたの救いは私が責任を持つから、日夜朝暮に世界平和の祈りをして、人類の救済に尽くして欲しい」と繰り返し述べられています。

争いが起こるのも戦争が起こるのも、またISISのように人殺しを平気でするような連中が出来るのも、またそのような連中から逃げる為に難民が出来るのも、また、テロ行為が起こるのも、人類が生まれ変わるごとに深層心理に悪しきカルマをため込んでいて、その悪しきカルマがその様な不幸災難を引き起こしているのです。

この地球人類の悪しきカルマを全て消し去らなければ、地球には真の平和は来ません。そのためには、五井先生は、宗派や民族を超えて、世界平和の祈りを唱え、地球人類の溜め込んでいる悪しきカルマを浄めることにより、地球人類に真の平和と地上天国をもたらすことが出来ると説かれています。

消えてゆく姿で世界平和の祈り
我々は日常生活でつらいことや嫌なことや、さらには不幸災難に見舞われることがあります。人間は一生に一度は非常辛い思いをすることがあると言われています。業想念の渦巻いている地球に生まれると否が応でも自分の悪しきカルマと地球に渦巻いている業想念が重なって、非常につらい思いをすることが必ずあるということです。

嫌なことやつらいこと、さらには不幸災難は、悪しきカルマ(業想念)の消えてゆく姿ですから、ああ、これで、自分の中に溜まっている悪しきカルマが消えてゆくんだとハッキリ思い、悲観的になったり、人や社会を恨んだりすることなく(こういう情念はさらに悪しきカルマを溜めることになる)、明るく健全な「世界平和の祈り」をすみやかに唱えるようにすると、自分の悪しきカルマが世界平和の祈りによりどんどん浄められていくので、自分の人生を大きく転換していくことが出来ます。嫌なことつらいことも早くなくなり、不幸災難も多少の時間はかかりますが、それを乗り越えることで自分の人格が高まり、真の幸せに導かれます。

消えてゆく姿で世界平和を実践していると、嫌なことやつらいこともきえてゆき、不幸災難を超えて、次第に幸せな人生に変わっていきます。そして、守護霊様を感謝をしていると都合のいいことが起こりやすくなり、守護神様に感謝をしていると、自分の悪しきカルマを守護神さんが背負って下さり、浄められた魂で神界に往生できるようになります。つまり、この世では幸せに、あの世は神の世界に往生することができるようになります。踊り喜べ幸ひなる魂よ!



第四章五井先生の教義

五井昌久先生の教義
「人間と真実の生き方」は五井先生がお書きになったのもです。この中に五井昌久先生の教えの要点が簡潔に書かれています。

人間と真実の生き方

 人間は本来、神の分霊であって、業生ではなく、つねに守護霊、守護神によって守られているものである。
 この世の中のなかのすべての苦悩は、人間の過去世から現在にいたる誤てる想念が、その運命と現れて消えてゆく時に起こる姿である。
 いかなる苦悩といえども現れれば必ず消えるものであるから、消え去るのであるという強い信念と、今からよくなるのであるという善念を起こし、どんな困難のなかにあっても、自分を赦し人を赦し、自分を愛し人を愛す、愛と真(まこと)と赦しの言行を なしつづけてゆくとともに、守護霊、守護神への感謝の心をつねに想い、世界平和の祈りを祈りつづけてゆけば、個人も人類も真の救いを体得できるものである。

世界平和の祈り

世界人類が平和でありますように

日本(祖国)が平和でありますように

私たちの天命が完うされますように

守護霊様ありがとうございます

守護神様ありがとうございます

(五井先生ありがとうございます)

この祈りは五井先生と神界との約束事で、この祈りのをするところに必ず救世の大光明が輝き、自分が救われるとともに、世界人類の光明化、大調和に絶大なる力を発揮するのです。



第五章人間の死後の世界

五井先生は人間の死後の世界でも様々なことを仰っています。
今の日本人の平均寿命は男女とも80才を超えました。これだけ生きると、死んだら永眠するのだと思われるかもしれません。今の人は人間が死んだら灰になるだけだと思っている人もいるかも知れません。

しかし、人類の歴史で、死んだら灰になって何も残らないと考えるのは現代だけであって、戦前までは、人生50年と言っていました。50年というとあっという間に死を迎えてしまいます。だから、死んでも魂は生きつづけるとほとんどの人は考えていました。

50年したら死が近づいて来るので、死後の世界への準備も早くしておかなければいけないと考えていました。そのために、念仏を唱えたり、題目を唱えたり、神社仏閣へお参りすることも日常茶飯事でした。

私は学生時代に哲学を専攻しましたが、人間は物質で死んだら灰になって終わると考える思想が生まれるのは、19世紀後半にドイツで初めて唯物論思想が起こります。現在の人類のホモ・サピエンスは人骨の分析などから、この地球上に今から7万年前くらいに現れたと言われますが、古代エジプト文明などを見ても分かるように、死後人間の霊魂が生きつづけるというのは誰もが疑う人はいませんでした。唯物論が現れるのは、今の人類の長い歴史から見ると昨日のごとくに過ぎません。

各民族はそれぞれの宗教を持ち、死後も霊魂は生きつづけ、霊魂を厚く祭っていました。日本でも、戦前までは軍人は靖国に行こうという合い言葉で、命をかけて戦いました。死後の世界があるのはつい70年前まで当然だったのです。

また、人類にとって偉人と言われる人はみんな宗教心を持っています。宗教心を持っていない指導者がいるのは共産主義の国だけです。その共産主義の実態が如何にひどい物であることは火を見るより明らかです。

私たちは小さい頃から偉人伝を読んできましたが神仏がいないと言った偉人は誰もいません。真に偉い人になればなるほど、深い信仰心を持っています。人間は必ず死を迎えるので、死後の世界をある程度知っていた方が、あの世で迷わなくて済むのです。

霊界(スピリチュアル・ワールド)の法則
霊界の法則は非常に簡単です。「類が友を呼ぶという法則」があるだけです。この世でも、職業につく人はある程度似たような人が集まります。好きな職業に就くのですから共通性はあります。

しかし、同じ職業に就いても、優しい人もいれば厳しい人もいます。派手な人もいれば、地味な人もいます。中身を見てみると人様々だということが分かります。中には犯罪を犯して首になるひともいます。逆に組織や社会に尽くして勲章を貰うような人もいます。

ところが、霊界では極めて似た人が集まり組織や町を作っており、その組織は親友の集まりの様になります。ですから、組織でトラブルが起こることはありません。

三つに大きく分類出来る霊界
霊界は大きく分けて三つに分かれます。これは、人格の高さにより三つに分かれます。古代ギリシャの哲学者プラトンも大きく三つに分けていますし、カトリック教会も三つに分けています。五井先生も大きく三つに分けています。

神に近いような人格者は神界に行きます。悩みの多い普通の人は人界へ行きます。多数の人を虐殺したような極悪人は地界(地獄)へ行きます。これは、キリスト教のように神が定めるのではなく、似たもの同士で三つに分かれまて行きます。

人界
人界は人類のほとんどが行く世界で、この世とほとんど同じような職業があり、人間の好みで多様な職業に分かれていきます。
しかし、似たもの同士が集まっているので派閥争いのようなことには置きません。

地界(地獄)
この世界は甚だしい偽善者、言語道断な悪人、喧嘩ばかりしている人が行く世界で、行くと悪人ばかりなので、かなり苦しみます。苦しんで反省の念が起こり、もう悪いことはしないと誓った人が、もう一度地球に生まれ変わり、かなりまともになって生まれ変わってきます。

神界
神界は、唯一絶対神の化身であったキリスト、聖母マリアや阿弥陀様、五井先生の様な高い霊覚者が神の右に座します。それから、キリスト、聖母マリアや阿弥陀様、五井先生や霊格の高い神様を深く信じて、悪しき事をすれば懺悔して神に赦しを乞い、反省を繰り返しながら、精進をして、世のため人の為に尽くしてきた人が後ろに連なります。

神界に近い世界
神界に近い世界にやって来ても、修業の十分でない人は、何度か生まれ変わり、様々な職業に就き、より人格を円満にして、もう一度神界を目指します。

根本的には性別は決定されていない
男女の性別は決まっていません。女性を長く経験した人は、今度は男に生まれ変わり、男の体験をして男としての修業を積みます。そして、異性の心が分かるようになり、人格円満になるまで修業を積みます。男性を長く経験した人も同じです。神界で天使になっても、性別は個人個人で異なっています。女性の方が合っていれば女性の天使になれます。男性の方が合っていれば男性の天使になります。そして、それぞれがカップルをつくり深く愛し合います。その歓びはこの世の100倍以上だと言われています。

この地球上に生を受けても繰り返し生まれ変わり修業をするわけですが、今の地球には業想念が渦巻いており、お釈迦様や五井先生のような本来霊格は高い人でも、地球に生まれると、厳しい修行をしなければ真の霊覚者(聖者)にはなれません。

贖罪(罪の償い)
まして、我々凡人は自力では霊覚者にはなれません。そのために守護霊守護神が必ずついて助けています。守護霊は凡人の不足分を補ってくれます。さらに、キリスト、阿弥陀様や五井先生といった正覚を得て神通力自在になった聖者は人のカルマを背負うことが出来るようになります。人間が生まれ変わる度に深層心理に溜め込んだ悪しきカルマを背負って下さります。

本当に神の化身の聖者を信じると、全ての悪しきカルマを肩代わりして下さり、臨終の時、凡人の悪しきカルマを全て浄めて下さり、神界に連れて行って下さいます。これが真の福音の一つです。

昔の人はこの様なことをよく知っていたので信心深かったわけです。信仰のないような普通の人は人界へ行きます。信仰があると無いとでは、これだけの違いが生じてきます。全ては本人の心の持ち方次第です。

霊界はさらに100段階位に分かれます
地球では富裕層と下層階級では10段階位の相違に過ぎませんが、霊界は地獄の底と神界の絶対神までには100段階位の違いがあり、美しさも歓びも幸福感も全然違って来ます。神を信じ、天と地をつないでくれる聖者を信じると、思いもしないような高い世界へ連れて行って下さります。

子が母の愛を信じるような信仰を持つと、神は愛と慈悲のかたまりですから、信じられないような恩寵を下さります。あの世のみならず、この世でも守護霊に感謝していると、次第に浄められてゆき、都合の悪いことは次第に減っていき段々と幸せになっていきます。これが真の福音の二つ目です。踊り喜べ幸いなる魂よ!(完)