五井昌久講話集5


                                                           五井先生

宝を積む

・目に見えないお返しのほうがよい
・人のために働けば働くほどよい

神様の念願

・真理があまり高すぎると
・「消えてゆく姿」という教えが出現したわけ
・消えてゆく姿とは
・心の中の悪をつかみだすのは真理に遠い
・神様の念願、神様の心
  神様は完全円満である、愛である。神様の中には責める心も
  裁く心もないのです

・お説教ではなくて幽体を浄めるのです
  地球人類が良くなるためには、肉体人間にいくらお説教をしても
  だめなんです。浄めの光が必要なのです
・業を引き戻してはいけない
・モーゼの神様
・神の罰では救われない
  お前の心が悪いと責めるときには、もう罪を認めている時なんですよ
・現れるとエネルギーは消える
・悪い人も自分もいない
・知らないだけ
  人と自分はないのです。命が一つなのです。ただ形が分かれているだけです
・崩れる自我欲望の固まり
・神様からはなれている
  どうして神様を離れていることが分かるかというと、神様と同じ想いならば、
  本当に深い信仰ならば、敵をやっつけようと思う想いがあるわけがない

・神様にすがりきること
  神様、あなたにすがって亡びるものなら亡びましょう。食べられなくなるのなら、
  食べられなくても結構です。すべてあなたにすがります。
・神様以外にない
  神様は宇宙に充満しています。自分の中にも、人の中にも、植物の中にも、
  すべての中に生き生きしています。命なのだから年中見ている。
・天命を完うするために
・自然法爾の親鸞
・仏のはからいのまま生きた良寛さん
・すべて祈りの中で生活するように

人は神の化身

・迷いの想いの中にいてはいけない
・もう罪の子だと思うな
・善も消える悪も消える
・イエスとともに天国に入った泥棒
・十字架の秘訣
・想いを神様の世界へ
・運命は開ける
  本当の宗教家という者は「神様は愛なんだから、あなた方は絶対に救われているのだ。
  あなた方が悪いんじゃないんだ。悪いものなんかありはしないんだ。この世の中は
  善も悪もないんだ。皆この形の世に現れてくるものは、消えていゆく姿なんだ。全部消えてしまうと
  本当の地上天国がここに出来るんだよ。」というのです。

・悪が不必要になった時「消えてゆく」
・霊界幽界の波を感じやすくなっている時代
・大光明が働いている祈り
・逃げないで責任を取る
・五井先生を思いなさい
・これぞ菩薩行
・短気な私、気の弱い私を祈りに入れる
・神のみ心と一つになる
・植芝先生、五井先生
  世界平和を唱える心、想いはこの三界の業生の世界、三次元世界を超えて、四次元無限次元の
  世界へ入って、神様のみ心の中に入ってしまうから、怪我をするわかがないんですよ

人間は光です

・人間は光です
・幸福をつかむ方法
・光の波に乗せてもらおう
・自分は肉体と思ってはいけません
・科学者と宗教者
・言霊・柏手・光
・地上天国が出来るには
・雨さん風さんご苦労さん
・必ず神様のお役に立つと決まっている
・教育の一番の根本
・菩薩の心
・いい人というだけでは足りない
・物質的・肉体的には平等にはならない
・神様の平等
・私が動けば光が進む
  神様を思っている方は神様の国に住んでいる。神様を思わない人は
  神様の国に住めない。それは亡びるより仕方がない。業はみんな消えてゆく。

・光体の五井先生
・神は光、人間も光
・植芝先生の話
・手を取って彼岸に渡す宗教家
・  世界平和の祈りをしていれば、知らないまに彼岸に渡っちゃう

世界平和の祈り

・世界平和など祈れないという人に
・前の世から会っている
・古い魂、新しい魂
・神様と思える人は幸せ
・我らが大看板
・成長の家、メシア教、心霊科学
  さんざん修行させられて、人間という者は肉体ではない、しかも神の分霊だけではない
  直霊と一つの神様そのまんまだ、ということを体験させられた

・私の役目
  イエスさんというのはキリストになったでしょう、直霊と一つになったわけです。神我一体になった
  人です。だからイエスの御名をとおして直霊に行くわけです。そこで私は私の器を通さしてゆくわけです。
・神のみ心中に入る道

神のみ心の中に入る

・前の世の因縁
  だから私にあって、私の教えがいいという自覚が出来た時は、もう救われているのです

・宗教が打算的ではいけない
・親鸞と唯円
  人間という者は肉体の業想念の中にいたのでは、どうやっても自分の運命を変えることは
  出来ない。前の世で決まった運命のままに翻弄されてしまう。そこに、御仏、阿弥陀如来、
  神様が必要なのです。

・神様の世界に打算はない
・業から抜けるためには
  創ってしまった渦の中にいたのではダメなのだから、その渦はかまわず、神様のすがりなさい。
  それは親鸞の南無阿弥陀仏と同じなのです。

・現れれば消える業想念
・心が嬉しくなってくる
・お浄めの大事さ
・お浄めの作業の連鎖反応
・柏手は光の響き
・神の子であることが分かるまでは救われない
  何が足りないかというと、人間の本体が神から来ているんだ、神様の子なんだ、
  ということが分からない以上は、だめなのです。神の子だということが分かるまでは
  本当の救われに入らない。

・いい人だけでは足りない
「前世の因縁的にいいことをするんじゃダメなのです。前世の因縁とか、三界の肉体の業想念を
捨てて、その上で、いいことをしなければダメなのです。それいにはどうしたらいいかというと
一遍、肉体人間じゃダメなのだ、神様−と言って、世界平和の祈りにのって、神様の中に
入り込んでしまって、神様の方から、自ずから、自然法爾、ひとりでに、いいことが出来るような
力まないでいいことが出来るような、力まないで行動が出来るような、そう言う人間にならなければ
それは悟った人間とは言えない、悟りの道じゃないんですよ。」

・言葉でする心の交流
・想いが大事です
・心中に汚いものがなければ
・形の世界、心の世界



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