私に荷物を預けなさい
・世界平和の祈りは神界に鳴り響いている
必ず良くなるに決まっている
・人間の自由自在性を奪うな
これからいろんな世界が展開されます。世界が平和になるのは、現実の世界としては遠いでしょう。その間に
いろんな恐ろしいことが出てきます。みんなを脅かすようなことが沢山出てくる。その時に、ああ自分は死んでも
自分たちは天国へ行くんだ、と思いこんじゃえばいい。昔のクリスチャンは偉かったですね。十字架に皆平気で
かかった。
・小言ではだめだ
・別の人間になっちゃだめ
・命を自由に生かし切る
信仰の極意
・鬼がでようと蛇がでようと
・実相論と現象
・偽善者をつくってはいけない
・あなたが悪のではありませんよ
・実相も現象も一つにしている
・あなたは神の子です
・黒住忠宗の素晴らしさ
・自分をいじめることは本心を汚すこと
・世界平和の祈りの根本
自分は救われながら、菩薩行をやるんだと思わなければいけない。
自分が菩薩行をやっていることは、自分が救われていることなのです。
祈りは観念論ではない
・真理が分かることが霊的
・そろそろ明かしましょう
・宇宙人の降りやすい場
・感情を超えることが大切
・宇宙人は愛の権化
・現れるべき時に現れる
・光の集団
宇宙人との提携は夢物語ではない
・仲立ちは大犠牲者
・身を投げ出して救う
・すべては消えていゆく
・世界を救うやさしい方法
・宇宙人が出現する
・誰が日本を救うのか
・これは夢物語ではない
私に荷物を預けなさい
・信仰心正しければ子孫は栄える
・天命について
・神のみ心が現れている
・光はどこまでもゆく
・天と地をつなぐ役
・肉体は場である
・とっさが勝負
・宇宙大に広がっている
・私に荷物を預けなさい
あなたのお荷物を私が預かってあげますから、お荷物預かり場所だと思って、業想念という
お荷物をみんな預けなさい。私がみんなもって上げます。そして空っぽになって、綺麗に光を
光を入れる。そうするとまた業想念が戻ってきても、それは自分で受けられますよ。光が強いから、
そんなものなんでも自分で消せるようになる。そのために五井先生が来ているのです。
・キリストと十字架
どうして磔になったのか。それはあなたがたが、今悪いことをしているんじゃなくて、
過去世からの業想念が現れて来ているんだ。アダムとイブの原罪といいますね。
キリストは旧約聖書を本当に解釈して教えようと思ったのです。あのままでは
間違っているのだから。そのためにはアダムとイブの原罪、人間は罪の子だと
いう観念を一度抹殺しなければならないでしょう。それでキリストが出てきて
サア、あなたがたに変わって私が十字架にかかって、あなた方の罪をみんな消したんだから
私を思いなさい、そうすれば皆救われるんだと、とこう言ったわけです。
イエスがせっかく、十字架にかかって、あなたがたは罪がないんだよ、私が代わりに背負って
やったんだから、のうのうと明るく、みんな愛し合ったらいいじゃないか、というのに
やっぱり自分は罪があるような気がして、自分が自分で守らななきゃならないような
きがしている。イエスさんに任しちゃえばいいのよ。私に任せなさいと言って十字架に
かかったんだから「さあ、イエスさんにお任せします」と苦労もみんなイエスさんに
まかせていまえばみんな罪を赦されちゃうんですよ。
・任せた側は救われる
だから五井先生が悟っていようと悟っていまいと、どっちでもいいんだ。五井先生という想いを
こっちに向ければ、あなたがたは救われる。重荷をこっちへくれちゃうんだから。
祈りは宇宙に充ち満ちる
・生命の働きを妨げるもの
・本当の祈りが必要
・神々が集まってくる祈り
・想いを高めておかないと
・神はその人に必要なものを知っている
・想いのもってゆきどころ
その人になくてはならないものは与えられるし、その人に一番いいようにゆくわけなのです。
自分の天命がまっとうされますように、世界人類が平和でありますように、と言う想いを
強くもつのですよ。そうするとその人の運命が自然自然のうちに、天命をまっとうしていくような
運命になっていく。天命まっとうを邪魔するような運命じゃしょうがないものね。
・世界平和の祈りの中に入れる
病気は世界平和の祈りの中にもっていっちゃいなさい。迷いも世界平和の祈りの中に
もっていっちゃいなさい。それで足りなかったら、五井先生と言えばいい。私が引き受けます。
貧乏でも病気でもみんな引き受けます、と言っているんだから、こんな楽なことはないですね。
・感謝以外に極意はない
思い出さずに忘れずに
・亡びるか平和が実現するか二つに一つしかない
・日本の進むべき道
・救世主が光り輝いている
世界平和の祈りには救世の大光明が光り輝いている。救世主が光り輝いている。
その中に入って、救世の大光明と一つになって、地球界を照らさなければいけない。
・出来ることを教えている
信仰とはそういうものです。汚れたままでいいのです。汚れたままで入れば、神様の方で
きれいに洗ってくれる。今までの宗教というのは余計なことをして、自分の力で自分のゴミを
取って綺麗にしなければ、神様の前に出られないというのですよ。
・神様にだきつけ
どんな汚れた体でも汚れた心でも、神様!といえば神様がきれいに洗ってくれるような
そういう神様が必要なのです。そういう神様が今現れている。それは何かというと、
救世の大光明として、世界平和の祈りとして現れている。その祈り言をすれば
お前がどんなに悪いことをしていても、どんな悪い想いがあっても、みんな綺麗にしてあげるから
この祈り一念でいきなさいよ、と言ってるんです。
・思い出さずに忘れずに
筆者の道 トップページ