質問ありませんか?

向こうの心と一つになって救えば、それは観世音菩薩です。あなた方だっていつでも観世音菩薩になれるんです。向こうの心を観ずればいいんだから。観じてその通りにして救えばいいんだから。・・・それが本当の宗教家なんです。

自分の欠点なんかいいから、あったままで世界人類の平和、世界平和の方へ持っていってしまう。そうすると世界が本当によくなる。細かいことはあまり気にしない方がいいですよ。p13

人間は肉体に生まれている以上は、完全じゃないんだ、欠点があってもよい。そんなもの咎める必要はない。欠点なんかどうでもいいから、世界平和の祈りをして、まず人類を救わなければいけない。第三次世界大戦を防ぐ、転変地変を防ぐ、そうしておいてから、細かいことをやったらいいんです。p13

どんな災いが出ようと、五井先生につながっていれば、絶対に福に変えるんだ、という全託の気持があれば、もう方位姓名学もいらない。私に会った人たちには、方位も方角もいりません。なんにも関係ないです。姓名学も全然必要ありません。悪いといわれても関係ありません。p17

肉体人間だけではとても自分たちの業想念を消して、地上天国を作ることは出来ませんよ。そこでどうしても助太刀が要るのです。それが守護霊であり守護神であり、宇宙人なんです。その助太刀の神霊たちと手をつないで、この地上界に降りて頂こうというのが世界平和の大願目なんですよ。p20

失敗する場合でも、なるべく人に迷惑をかけないような失敗をする。自分だけが損するような失敗の方がいいでしょう。失敗でも、世界平和の祈りにより統一が進むと、そういう失敗に変わってゆくわけね。
p26

内から光が出る時に、自分の業が崩れていく。その時に不幸みたいなことになるわけです。だから年中神様の中へ入っていると、光がいつも出ていますから、汚れたものがチョコッと出て消えちゃう。p29

普通のままで、知らないうちに360度ひっくり返って、神性が開かれてくる方が余程いいですよ。そうように皆さんがなるように、私が一所懸命皆さんの変わりに祈っています。p32

亡くなる時には、ゆうゆうと神様に感謝して、世界平和の祈りを祈りながら亡くなれば、その人は悪いところには絶対いかないですよ。世界平和の祈りはこの世に生きていて役立つし、死んでからも役に立つんです。p34

思った時は、これはいけないな、世界人類が平和でありますように、その人の天命が完うされますように、とやると消えちゃって、あべこべに光が入ってくる。煩悩即菩提で、悪い想いが出た時にすぐ光に変える祈りをするわけね。それを年中やっていれば、いつのまにか自分が光一元になってくるから、自然にいいことをするようになっちゃうんですよ。だから、世界平和の祈りをする習慣がついていることは、皆さんもう大変な得なんですよ。p35

私が言っているのは、お願いではないのです。病気を治すにしても、貧乏、不幸を直すにしても、お願いごとではないんです。自分の想いを本体の中に入れるわけ。守護霊、守護神に消してもらうわけですね。光を蔽っている闇の想いを光の中に入れて消してしまう。そういうのを祈りだと私は言うんですね。「質問ありませんか」p37

世界平和の祈りをしていれば、同じ業が出るんでも、すこしづつ出てくるわけです。光の方が強いからパッと消えますからね。光がない人はまともに受けるけれども、光の強い人は、十が三というふうに縮まりますからね。そういうわけで、業想念がつまっていても、世界平和の祈りをしている人は、現れてくる場合には、ずっと軽く済んでいくわけです。それが運命の修正というわけです。p42

人間の目的は何かというと、置かれた環境は神様が置いて下さったと信じて、その場で一生懸命いのちを生かしてやること、これより他にないですね。何でも一所懸命やるということが、人間の目的です。p47

”世界人類が・・・”という時には、天国行きのエレベーターに乗ったと思えばいい。それで後をつづけていれば、神様の方で上げてくれる。守護霊の方で上げてくれて、一番住みやすい所にポンと置いてくれるわけ。そこでまた働くことになるわけね。p63

例えば八十で死んだとする。七十九歳まで悪いことをしていたとしますね、それで亡くなる間際に、世界平和の祈りを教わって「ああ今までは悪かった。消えゆく姿だった。世界人類が平和でありますように」と本当に思えば、それはいい処にいってしまう。場所が決まってしまいます。ただし、やったものが少し残っている場合がありますね。残っただけは払わなければならない。払わきゃならないけど、うんと力が出ているから、場所が高いところに行って、払うのが楽に払える。p64

だから皆さんの場合は、どんな職業であろうと、そんなことは一切かまわず、世界平和の中に消えてゆく姿として、みな入れてしまえば、それはみな消えてゆく姿で皆さんは楽々と体が楽になります。p66

自分があるうちは、欲しいものでもなかなか入ってこない。あれが欲しいと自分のことばかり思っていると、なかなか入ってこないですよ。自分という者がなくなって人のことばかり思っている。世界人類のことばかり思っている。皆が幸せになるようにと思っている。そうすると服が汚れちゃったなあ、もう一着ぐらいあってもいいかなあと思うと、すっとその翌日、服の生地なんか送って来るんです。ああ靴が汚れたなアと思うと、明くる日「これお足に合いましょうか」と持ってくるんですよ。それはもう不思議なくらい、即日即刻来るんですよ。神様の方から注文するんですね。「質問ありませんか?」p71

(統一実習が進歩するには)要するに努力と辛抱、忍耐が肝心です。といってわざわざ辛抱しなくたって、時間がたちます。もう道にのってしまったのですよ。「質問ありませんか?」p75

大阪行きの汽車に乗った。まだかまだかまだか汽車の中を走り回っていても、何にも思わないで寝ていても同じ時間に着きます。何とも思わなくたって、同じ時間に着きますからどうぞご安心を・・・p75

人間というのは神様の方で決まっているんです。決まったものが現れるのです。だから、やるべきものは何かといったら、自分の想いを神様の中へ入れておけば「私たちの天命が全うされますように」と祈っていれば、いやでも応でも自分の天命が開くのです。余計やればやる程早く開くのです。p76

現われたら、ああこれは消えてゆく姿だな、と消す先を神様の中へ持ってゆく。神様いってもどこにあるか分からないから、人類の一番も目的であり、願いである「世界人類が平和でありますように」という言葉に働く大光明圏、救世の大光明の中に、祈りの言葉とともに持って行ってしまうのです。p85

自分はこんな悪い想い方のくせや、行いのくせがあるけど、こんな我が儘、こんな怒り心があるけれども、それはみんな消えてゆく姿なんだな。世界平和の祈りと共に、あ、出てきた、けれど消えたんだな、また出た、消えたんだな、とやっているうちに、どんどん減って、未来に向かっては、悪いものが出てこなくなる。p86

大概の場合、いくら教わっても、自分はだめなものだ、しゃくにさわるとか、こんな不幸になって、こんな病弱になってとこういうように思う。思うなといっても思ってしまうのだから仕方がない。思うのも因縁因果なので、思うように出来ているのだから。だから思ったらすぐその場で、あゝ先生に教わったのはここだなと、消えてゆく姿だ、世界人類が平和でありますように、神様お願い致しますと素直にやると、それだけ減っていくのです。p86

自分が働くとか力まなくても、神様は自然に自分を使って下さるんです。神様といのは自分の本心です。本心が自分をチャンと完全な働きをなさしめるのです。それを肉体の方の自分がやろうやろうとすると、うまくゆかないんです。そこで、私は、世界平和の祈りの中からすべてをやりなさいというのです。p92

私は若い頃音楽をやっていたでしょう。クラシックだけがいいと思って、ジャズ排撃論者だった。ところが今深く考えてみますと、ジャズはジャズでまた必要なんですね。流行歌は流行歌、何とか節は何とか節で必要なのですよ。その時々の波の変化ですね。ですからそう固く思わないで、聞きたいときには、なんでも聞いたらいいと思うんですよ。p95

善悪をあわせのむ、というような、その人はそれで消えてゆく姿をやっているんだな、というような、大きな赦しの気持というか、大きな気持でみてやって、「どうかその人の本心が開きますように」と見てあげればいいと思うんです。そうすると、心が広くなって、この世の中が、どんなことも悪いようなことも、みんな生きてきます。p96

個人においても、世界人類においても、いけないいけないだけで、あいつが悪い悪いだけでは、世の中はよくなりませんし、子供も家庭もよくなりません。相手の中に同調していて、しかも自分の光を相手に与えて、その光を相手に同化させるぐらいの力をもたなければいけない。それが大きな人物であり、大きな国であります。p98

キリストを信ずれば永遠の生命(神の命)が得られるということは本当です。ただイエスを信じればというのとは違うのです。真理を現す、神のみ心そのままを現したときこそにキリストが現れるわけです。イエスが真理を現したからイエスキリストなのであって・・・ただイエスという肉体を信じればというように勘違いをすると困る。肉体がなくなったら信じようがないです。ですからキリスト真理を信じるということです。p99

自分で精一杯やっても、みんな足りないのです。肉体人間では何事もなし得ないんだ、けれど一所懸命やっていることが立派なことだなということが分かると、そこに初めて神への道が開けるのです。「ああ肉体人間じゃなし得ないんだな、神様が内にあってなさしめ給うのだ」ということなのです。そこまでくると本当の信仰になるのです。それを私はすすめているわけなのです。p104

ここに過去生の因縁が現れてきた場合「ああこれはいけないんだナ、しかし過去生の因縁で仕方がなかったのです。ご免下さい、すみません、これからは同じことを二度としません」と自分の本心にわび、人にわびる。それで一つの業が切れますよ。・・・と「世界平和の祈り」して、守護霊様守護神様への感謝の心と敬虔な気持で祈ることによって、「消えてゆく姿」が成就するのです。p108



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